連載
スギダラ家奮闘記/第15回
さて、今回はその奮闘のひとつをお話したいと思う。 かれこれ1年前からなのだが、南雲親分とスギダラ2兄弟は、JR東日本の仲間と無人駅に興味を持ち、暑苦しい活動を行っている。元はと言えば、上崎のプロジェクトを通じ(月刊杉12号を参照)高千穂鉄道が廃線という結末を体験し、秋田では二ツ井の駅前いやもはや駅前が黄昏れている状況を我々は目の前にし、これは杉と同様、日本の財産であると同時に地域文化の拠点であった駅が交通手段の激変で、ただただ、置き去りにされる。そして無人化,廃線と追いやられる。邪魔もの扱いされていることに寂しさと同時に、何かやりたいと、またまた余計なお世話心が、芽生えたことから始まる。全国でも無人駅は現在43%を占めるらしい(柳澤さんからの受け売りです、芸名:スギだぃらけん(略してスギダラケ)) しかも、時代の流れとともに中央駅の発展と高度情報化とうらはらに、その数は増え、駅の管理や治安、街並に大きな影響を与えている。 費用はかさむ、しかしほったらかしには出来ない、まだまだ学生や高齢者の重要な足である。深刻な問題を抱えている。かつて駅は地域の誇りだった、中心だった、路線には数々の歴史、そして地元になじんだ風景として思い出がつまっている。 地方の鉄道沿線や駅には、始めて見た我々だって共感できる何かが潜んでいる。 杉と一緒じゃないか!! やろう!!よせばいいのに、またまた盛り上がった、しかも今回はJRのメンバーまでいる。 そして決まった「よし、久留里線へいこう!!」 なぜ久留里線なのか?それは東京の近郊であったこともあるが、偶然に近い。 行ってみて驚いた、実に美しい。線路と田園、川,山が近くて、季節のうつろいがダイレクトに感じられる。また駅舎がいい、駅舎というより小屋なのである。現在の寸法からスケールアウトした懐かしい空気がある。
もっと知りたい、なぜなら、形をつくることや、デザインでは解決できない大切なものが潜んでいるからだ。時間を忘れ、話し込み、記念写真まで撮って、またお会いできることを約束した。 「若ちゃん、もっと町の人たちと話をしたいよね、機会をつくろう!」 南雲語録から言うと、「つくろう!!」とは「やってくれと」解釈される。縁もゆかりもない駅に、しかも一回きりの出会いをもとに、馬来田のまちづくりの有志を引っ張り出すのにはけっこう大変だった。ぼくの「無人駅をよくしたい。馬来田はすばらしい、もっと企業や地域が絡んで面白くできるはずだ、それが未来に繋がることなんです。お願いします。」のただ暑苦しいお願いに駅ボランティアの親分、山口さん(83歳)は熱心に対応してくれた。 今、思えば実にうさん臭い。 最初の面談で駅周辺や仲間を紹介してくれた。色々ないきさつや仲間の事も話してくれた。そして次回メンバーを皆集め意見交換や懇親会の機会を持ってくれることとなった。帰りの電車にのる時の駅の皆さんが手を振ってくれお別れした時に、嬉しさと同時に実が引き締まる思いがした。そう富高小学校の子供達に挑んだ時と一緒だ。真っ当な思いに立ち向かう思いである。
同時に彼等が行っている活動を若い世代や、地元の企業そして外の仲間、JR、自治体と結び付けることの必要性を感じた。 しかし、どこから、何をやればいいのか、どうつなげていくのか? ● それは、10月15日に行われたJR東日本と馬来田の「駅からハイキング」のコスモスフェスティバル参加で少し見えてきた。 駅からハイキングはJR東日本が企画した駅から歩いて風景や季節を楽しむハイキングコースで、年に数回行われているらしい。コースも様々で今回は馬来田駅を起点として武田川沿いのコスモスロードを愉しみながら、「いっせんぼく」という湧き水からの美しい湿原を廻り、武田信玄一族の歴史あるお寺「真如寺」を見て帰ってくるというコースである。いや実にいい!!正直言って感動した。普通にいい景色で、何も期をてらっていないのだが、ゆったりとして、地域の人たちの手作り感に溢れている。これでいいじゃないか、そうだこれがいいんだという感じがある。