連載

 

スギダラ家奮闘記/第16回

文・写真/ 若杉浩一
北の松ダラ家登場 そしてジョー中尾 
 
 

みなさん、こんにちは ̄?。
今回は、先日、札幌に開設された内田洋行のショウルームというか、イベントスペースというか、なんというか、その名も協創広場「U-CALA」の紹介とともに、我が軍の最終兵器その名も「ジョー中尾」のお話をしたい。
 さっぱり、本来の杉ダラ家は計画が進まないまま、杉ダラはウチダ(内田洋行)杉ダラオフィス、杉ダラバー、ウチダラ杉ダラオフィス、など杉ダラ空間は拡大している。まったくとどまる所を知らない。そして先月の10月にオープンした北海道、札幌の杉ダラオフィス、いや北海道は杉がとれないので松ダラオフィスの登場劇を紹介したい。東京杉ダラオフィスの登場でオフィス空間のおける杉の使い方を実験し、しかも評判が良かったものだから、さあ今度は地方へということになった、その場所は札幌、我々の親分はこう仰るのだった「なあ、若杉、これからは、地方と中央が共存し新しいことを起こしていく、ただ商売するだけじゃ駄面だよ、一緒に価値を創っていく、そしてそこにビジネスが成立する、そういう時代なんだ、だからこそ最先端を地方で一緒に考える、永年お世話になった、経済は苦しいけれど頑張っている北海道でやろうぜ、ちまちまするのはやめよう、どうだ!」「合点ですぜ!!やるじゃないですか!!」またまた始まった。こうなったら手がつけられない、南雲親分も凄いが、うちの親分も凄い、社長もスタッフも関係ない、半ば喧嘩腰の会話と真剣勝負が続いていく、そして猛烈なスピードでしかも、お祭りのようにモノができていく、札幌のメンバーも次第にそのノリに巻き込まれ、まさしく冗談が事実以上になっていく。ここにも杉ダラ流が次第にしみ込んでいる。そして出来上がったのがこれである。

 
  札幌マツダラオフィス

 
  展示の風景

 
  マツダラオフィスの壁

  なんとショウルームというより、地元とコラボレーションし発表や展示イベントができるホールが半分も占めている。しかも地元の札幌軟石やカラマツをふんだんに使い地元の方々と一緒につくりあげた。いわば地元の素材のショウルームでもある。しかも皆で鍋やら、料理ができるよう、キッチンまで作ってしまった。やはりコミュニケーションには飲食はかかせない。そんな場所でこけら落としのイベントを仕掛けることとになった。なんと川上元美さんと杉ダラ3兄弟によるセミナー(詳細は千代田君お願いします)そして、展示は川上さんの新作チェアそして南雲親分の新作杉ダラではなく松ダラ家具屋台その名も「わたし松バー」と「わたし松太」である「WATASHI-MATU-BAR」は何と3,6メーターもある最長のバーである。南雲親分の作品はだんだん長く大きくなるのが特徴である。今回は部屋に入れられるギリギリのサイズであった。地場の大工さんと一緒に作った。そしてその大体の杉ダラ家具の実施図面を書き、製作をやってくれるのは我が軍の最終兵器中尾君である。今回も様々な我々の要望やトラブルがあったものの、細かく部材を手配し、旭川の大工さんのところに3日もへばりついて完成させた。出来上がった屋台とともにトラックでショウルームに登場した。嬉しそうに、楽しそうに、満面の笑顔で。

 
  watashi-matu-bar 南雲さん新作 3.6m

 
  長〜〜〜い!!

 
  屋台トーク1

 
  屋台トーク2

 
  皆で。川上さんも

 
  相も変わらずアヒルのダンス模範演技

  とにかく、中尾君は凄い。ものを作りはじめたら全身が集中する、何も見えないぐらい入っていく、まさしく幽体離脱状態だ。しかしものづくりに愛があり、純粋なのである、そして驚くようなモノが出来上がっていく。毎回感動の嵐なのである。
僕達は彼の凄まじいエネルギーに支えられている。決して喋りは上手ではない、しかし無垢な好奇心と優しさで誰とでも仲良くなれる。大工でも子どもでも、歳の差を超えて、判りあえる関係を作れる。
したがって我が軍の女性達のアイドルなのである。

 
  幽体離脱中

  僕と中尾君とコンビを組むようになったのはかれこれ12年前だろうか?僕は上司とそりが会わず、デザインを首になり、3年間の放浪のあとようやくデザイン部隊の戻された、しかし相変わらず僕に仕事はない、そしてそこには、同じように仕事がない中尾君がいた。とにかく彼は真面目なのだがうまく仕事が進められなかった、よく叱られていた。どんどん日陰の仕事になり、僕と2人ぽっちになった。何をやるにしても仲間がいない、もう会社をやめるしかないか、僕達はそう思った、一緒に休日に職業訓練校に通った。塗装、家具製作、木工技術と今考えれば全く馬鹿馬鹿しいが、真剣だった。
一緒に通った学校で僕は彼の魅力を発見した、彼はOLや奥様、そしてリタイアのおじさんや中卒ぐらいの若いメンバーともすぐ仲良くなれるのである、出来上がったものや、実習の作品を前に盛り上がっている。僕なんか恥ずかしいと思ったり、どこかプライドがあった、いつも独りだった。そこには会社では見られない中尾君がいた、会社とは裏腹に、天真爛漫なのである。きっとモノづくりがすきなんだ、そう確信した。それからというもの、僕がデザインをし、中尾君がモデルづくりをやる、しかも圧倒的な勢いで、頼まれもしないのに次々に形にしていくコンビが出来上がった。なんせお互いに時間はある、仕事がないんだから。お互いの特技を活かしあった。
そして彼は苦手だったCGを僅か2週間でマスターした。
ぼくらは殆ど罵りあいをしながら、お互いが何を求めているかを確かめあった、端からみると、いじめか、喧嘩である。しかし一緒にモノを見て、一緒に感動し、共に確信を深めていった、そう、モノを通じて、それが唯一の共通言語だったからである。もはや誰のデザインでもない、お互いの共同作品を面白がって作っていった、彼は凄まじい勢いで技術をあげ、知識を深め、色々な所へでも出かけるようになった、お互い失敗もあったが、なんせ楽しかった、会社の評価なんて、関係なかった。やっている事そのものが嬉しかった、表現できる、判る、そしてそれが少しずつ伝わる楽しさに毎日遅くまで時間を費やした。
今や、彼は僕なんかを通り越し、皆の支えになっている、いやリードしてくれている。一緒に仕事をしている技術者(IT系)の五十嶋さんが教えてくれた、時間もない、問題だらけの仕事で皆が目標を下げようとした時、彼がこう言った「頑張ろう、目標に到達しよう、必ずできる。」と彼に言われたら引き下がれない。それぐらい真剣だからである。そしてまたしも見事なものをつくった。
全く僕らのデザインを通り越し感動を伝えられる、しかも仲間すら引っ張っている。彼にはおそらくそういう感覚は全くないと思う、そうそれでいいんだ。
人には役割がある、お互いを認めあう、そして団体戦に挑む。感動は数倍になり喜びにつながる。
ほんとに仲間は凄い。ちからと感動が重なり、うねりになっていく。
ぼくは最近思う、全く杉ダラには凄い仲間がいる、そしてなんとも馬鹿馬鹿しい事が事実になり、夢に一歩ずつ近付いている。こういう事を多くの人に知らせたい、もっと素敵な出来事、そう「デザイン」があることを。
かの建築家の内藤廣(杉ダラ会員)は「デザインは団体戦だ」と言い、南雲親分は「デザインは感動だ」という、そして、サムスンのデザインの親分チョン専務はデザインは「敬業楽群」(新しいもの苦労して生み出し、そして皆で楽しむこと)と仰る。そして我が親分は「RELATION DESIGN」(色々な事や仲間を結びつけることこそ新しい価値だ)という。   なんだか、皆すげ〜や。
そして僕は、その輪の中にいれることに、とても感謝している。 
なあ中尾!! 「ジョ〜〜!!!」また中尾の雄叫びが聞こえる。

       
   
   

新しい眼鏡を女性陣と一緒に買う
後ろに楽しそうな佐竹さん

  中尾君

 
 
  ●<わかすぎ・こういち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長




   
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