特集宮崎

宮崎と杉とものづくりとデザイン
文 / 南雲勝志
 
 
  今月号は新春特大号と題し宮崎大特集。またまた宮崎か? というほど宮崎の話題は何回も取り上げてきた。しかし、昨年末宮崎県のあちこちで行われたイベントはまさに「宮崎杉祭り」の様相になってきた。 年も明け、少し時間が経った今、特集に組み込んだ一連のプロジェクトを振り返り、それぞれの繋がりを考えてみたい。
そこにはこれからのまちづくりやデザイン、そして我々の目指す方向にヒントになるものが含まれているはずである。
 
 

■ 新日向市駅開業
昨年、12月17日新日向市駅開通式が行われた。
土木設設計家、篠原修率いる景観やくざ集団 ※1 にとってそれは、コラボレーションという力でこれからの新しい可能性を確信した瞬間でもあった。
いくら優れた個人でもそれぞれがバラバラであっては繋がらない。その分野の専門家が力を出し合い、連携出来たときに初めて大きな力となって結実する。篠原先生がいつも言っている言葉だ。
日向市のまちづくりプロジェクトでは都市計画の佐々木政雄、都市設計に小野寺康、建築設計は内藤廣。地域の建築士のアドバイザーを建築家の武田光史、ファニチャーデザインに南雲。市民とのワークショップには宮崎大学の出口近士、吉武哲信、両氏が市民と行政の繋ぎ役として何度も会議を重ねる。そして軽いフットワークでどこにでも顔を出す地元日向木の芽会、海野洋光が木材のみならず重要な役割を果たす。 単にハード整備にとどまらず、主人公である市民とともにいかにまちを造り上げていくか、それを最終的な目標とする。県も市もその目的に向かって気持ちをひとつにし、みんなで力を合わせ頑張ってきた。
篠原先生が日向に関わって10年あまりになるという。僕でさえも7年ほどになる。その間、関わってきた人は数百人に上るのではないか。開通式前夜の関係者同窓会を見てその人の多さと多彩ぶりに改めて驚く。記録を綴ったスライドショウは感動的だった。 費やした時間の長さ、関わってきた人の多さがプロジェクトに重みと共感を与え、その感動がまた新たな人を呼ぶ。
翌日新しい日向市駅前で行われた完成祝賀イベントに多くの市民が参加し、喜び楽しむ姿をみてプロジェクトに関わった関係者が素直に喜んだ。
日向市のまちづくりのテーマは「木をつかったまちづくり」。美しく繊細さと力強さをもった完成した駅舎に使われた杉がまちのシンボルとして姿を現した。
そして単なる地場産の無関心素材だった杉が羨望の素材へと変わったのだ。

※1コンフォルト80号で篠原さんが用いた言葉。徒党を組んで行うデザイン集団のこと。 篠原さんはコンフォルトで「まちづくりの新しい芽」という連載を6回され、この号が第2回。

■ スギダラのスタートは日向から
話は少し遡り、2004〜5年にかけて行われた日向市富高小課外授業についてであるが、これもまさに市民と今後の日向市をどうやって育てて行くべきか考えた結果うまれた。もはや頭の固くなった大人達だけでまちづくりを考えには限界がある。未来を担う新鮮で純粋な子供たちをまちづくりに引き込み一緒にやっていこうというわけだ。当たり前といえばごく当たり前の話だが、実は非常にまれな話である。
なぜなら既製のシステムを変えていくのはそう簡単ではなく、はじめはやはり途方もない時間と労力を必要とするからだ。 子供たちのために多くの人が力をあわせ、手を抜かず最後までやり遂げたところにあの課外授業の価値があったと思う。子供たちはそれを感じていた。
そしてその思いを繋いだ素材がやはり杉であった。
海野さんはチャンスとばかりその勢いを加速させ、全国規模のデザインコンペ「スギコレ」を企画する。課外授業と相まって我々は杉の持つパワーに圧倒されることになる。そのコンペの最優秀賞に輝いたのが、今回「日向市駅ベンチ奮闘記」を執筆してくれた狩野新さんである。
月刊杉WEB版編集長でもある内田みえさんが、当時編集長を務めた前述のコンフォルトに日向の杉の取り組みの取材をしてくれた。特集のテーマは「杉とゆく懐かしい未来」。やくざ集団の3号後のことである。 そして杉が単なる木材素材ではなく、日本人とともにその文化を創ってきた素材であったことを再認識する。 その気持ちを何とか持続できないかと、課外授業の講師を担当した若杉浩一、千代田健一と僕の三人で日本全国スギダラケ倶楽部の発足へと向かっていったのである。

■ 日南エコプロダクト
今年2月17日宮崎県工業技術センターにて内田さんと共に若杉、千代田、南雲で「杉とゆく懐かしい未来」を講演する機会があった。センターの依頼者である鳥田和彦さんは、デザインジャーナリストとしての内田さんをとても評価していて「ぜひ宮崎で杉とデザインの講演をやって欲しい。誰か紹介してくれ。」ということになったらしい。そこで内田さんはスギダラ仲間の僕らを紹介してくれたわけだ。
鳥田さんは宮崎発のグットデザインを切望している。良いデザインを宮崎から少しでも多く増やしていきたい。という。塩見橋や富高小のグットデザイン賞も我が事のように喜んでくれた。
その講演の直後に「飫肥杉大作戦その1計画秘話」を執筆してくれた日南市の河野健一がデザインにについて鳥田さんに相談に訪れたわけである。鳥田さんの気持ちも解っていたのでエコプロダクト二つ返事で引き受けた。 アドバイザー内田さんのピンチヒッターの石田紀佳さんは本誌連載「杉暦」執筆者である。絶妙な語り口と手法で、日南ならではの杉の特徴を生かしつつ、地元のメーカーをエコプロダクト展示会へと導いていってくれた。これでスギダラ本部はなんと全員宮崎に行ったことになる

■ 上崎物語りへ
順番は少し逆になるが、日向の少し後、景観やくざの面々は日南市油津運河の整備にあたっていた。実はエコプロダクトもそれがあったから何となく親しみも湧いたのだ。
事業者の油津港湾事務所のH所長は実は日向土木事務所から移動してきたばかりであった。気心が知れているとはいえ、大事なプロジェクトで手を抜くことは許されない。小野寺さんと最初の一歩を造り上げるまで何度も通い、夜遅くまで県や市の担当者と語り合った。最初の一歩とは運河沿いのプロムナードEF区間と呼ばれる200メートルほどの整備であった。
篠原先生はいつも言う。「いくら説明しても最終的には現物に叶うものはない。だっていくらイメージ図を見たって最終的な出来上がる現物を市民は想像できないでしょう。だからファーストインプレッションが大切なんだ」と。
そのファーストインプレッションをつくるため、デザインはもちろん、一緒につくるプロセスを港湾事務所の方々にも味わってもらうために、現場管理や工場管理などを細かく立ち会ってもらったのだ。そうすることで完成した暁には感動を一緒に味わうことが出来る。甲斐あってプレ竣工式においては市民と関係者総出でお祝いをした。
その時の現場担当者が、東臼杵森林振興局に行き、今回「かみざき物語り最終回」を執筆してもらっている植村幸治さんである。 油津運河でものづくりとまちづくりの感動を体で味わった植村さんは、たとえ海から山に移動しても、もうそうしないと満足できない体質になっていたらしい。お節介ながらも一緒にやりましょうと応援することになる。約2年間に渡り、上崎地区に通いワークショップを重ねる。ここでのプロセスを体験するなかで最終的な「もの」をつくる前に実は一番本質的な部分があったと気づかされる。地域と人、その未来、そして地場産杉材にまた立ち向かうことになる。
簡単ではなかった。いろいろあった。けれども何もやらなかったら何も生まれなかった。一生懸命地域の事を考えた植村さんがいたから上崎ものがたりが出来た。その頑張りが一番嬉しい。
ここでも海野さんはどこからともなくやってきて(ごめん)いつも一緒に考えてくれた。
なぜだろう? なぜそこまで。海野さんは杉の力を解ってもらいたくてしょうがないのだ。
だから力を惜しまない。いつも全力投球だ。その気持ちは人を動かす。

■ 「デザコン」と都城へ
そんな海野さんの企画力、実行力は一目おかれている。今年全国コンペで当番校になった都城高専の先生は宮崎市内での第2回スギコレを感心し、海野さんに相談に行った。我々はちょうど西都城駅前「蔵原通線」のプロジェクトをやっていたときだ。そこから我々とデザコンの繋がりが始まった。コンペのヒントは今まで宮崎でやってきたいろんなプロジェクトがとても参考になった。
このコンペは二つの点で可能性を感じた。ひとつは製作を全部学生たちが行うのであるが、意外や結構素晴らしいものが出来るのだ。自分たちで作り上げる気軽さが杉にはある。そしてそれを作っているときの学生の表情がまた何ともいえず情熱的だった。二つめは疲弊した地方の商店街と力を失った杉材が力を合わせ、もう一度プラスをつくる可能性を示唆してくれたことである。マイナス+マイナスがプラスになるわけだ。これは日本全国のどこにでも当てはまる状況だけにとても興味深いテーマであり、さらに発展的に考えて行けそうだ。
都城市と市民のコラボレーション、徐々に始まっていきそうだ。すでにスギさんが水面下で仕込みをしている最中だ。加えて来年はスギコレの当番が都城だ。 今年の宮崎は南宮崎エリアがヒートアップするかも知れない。

何をやるにも一人では出来ない。力を合わせ協働するところから良いものは出来る。
日向から始まった一連のものがたりはそれを痛感させる。結局はチーム力、総合力だ。
たとえば、この月刊杉WEB版を書いてくれる執筆者は月刊杉WEB版の原動力だ。いつも気持ちよく書いてくれる執筆者がいるから成り立っている。
そして相手を見守る優しさ。狩野さんのベンチも「絶対実現しないとダメだ!」と篠原先生も内藤さんも言う。それが信頼関係だ。そのことに気づき感動した狩野さんの気持ちがよくわかる。

繋がり・・・というけれど今、こうやって原稿を書いていて、本当に全部繋がっているんだな、と改めて思う。繋がるきっかけはあってもそれを育てさらに次に繋げていくには努力だけではない運命的なものを感じる。 バラバラに始まったプロジェクトがほとんど同時期に完成を迎えるのも偶然だろうか? 何か必然的な力が働いているような気がする。
スギダラ活動においても同じように思う時がある。どうしていつもたくさんのメンバーが熱心に参加してくれるんだろう? たぶん今よりもっといい社会にしたい。たぶんそうなる。それを目指しみんな新しい期待感をもって参加してくれる。

一般的なレベルでデザインというものはどれだけ浸透しているだろう。単に商品力だけで騒ぎ、稼ぎ、多くのゴミをつくってしまう現実がある。ものを一方的につくりおしきせる時代は終わった。より豊かに、より自然に生きればいい。ともに語りともに悩み、ともに楽しみ、感動しながらものをつくりまちをつくる。そこから文化が生まれる・・・ そういった価値観をそろそろ広く多くの人に伝えたいと思っている。 スギダラの思想の根底もその辺にあると思っている。


 

●<なぐも・かつし>デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。 家具や景観プロダクトを中心に活動。 最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。著書に『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』 (ラトルズ)など。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部

 

   
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