特集宮崎
□ デザイン現場の会話 駅前広場設計に関する篠原修先生からのサジェスションは、広場造形としての柔らかさ、しなやかさ、そして素材の強さであった。 「内藤さんの設計は、力がある。なまじのデザインでは負けてしまうぞ」 勝ち負けのことではない。バランスをいっている。 地域文化をここから発信するのだという、力強くも穏やかなオリジナリティが内藤廣設計の駅舎には表現されている。そのメッセージを継承しながら、交通広場、隣接するイベント緑地、接続する様々な街路を、トータルで空間演出する必要があった。この事業によって、鉄道で分断されていた東地区(海の文化圏)と西地区(山の文化圏)が文字通り結び合わされることになる。東口広場は、海(細島港)への街路軸線が東口駅前広場の形にそのまま飛び込んで一翼となり、その軸線を継承しながらさらに煉瓦の帯が中央コンコースを抜けて、やがて工事が始まる西口広場の保存樹(大銀杏)に到達する。地区が結び合わされた祝祭の造形。地域住民との直接対話から、これらすべての造形はつむぎだされた。 広場の素材の強さを、煉瓦と自然石に求めた。 歩道は全て煉瓦舗装だ。途中で宮崎県産の煉瓦材も検討したのだが、どうにも駅舎とバランスが取れず、最終的には自分の直感に従い、「大地をそのまま焼き上げたような」質感のものを全国から求めた。車道も、駐停車ゾーンを手加工の御影石で敷き詰めた。白線や身障者マークまで自然石だ。 駅舎構造の金属部は、対候性の高い特殊な亜鉛メッキ(燐酸亜鉛処理)だ。いわゆる塗装ではない。杉の集成材とともに、主構造には素材そのものの風合いが空間に立ち上がることになる。これを受けて、南雲さんも照明柱やベンチといったプロダクツに同じ亜鉛仕上げを使い、サインのように塗装する場合は現地の海の色合いにこだわった。駅舎を主景とする総合景観の演出である。 だが、駅舎前面のキャノピーが立ち現れたときは正直ぞっとしたものだ。寺院建築の普請ではあるまいし、過剰ではないかと思うほどの木質が量感をもって広場前面に迫ってきた。予想はしていたが、小さな駅舎のはずが、全くそう見えない。車道に本物の黒御影石を敷き詰めて本当に良かったと思った。 だがそんなデザインも、そのクォリティを左右するのは結局のところ、人である。 日向は人に恵まれてきた。 駅舎及び駅前広場を担当する日向市の担当者連は、間違いなく精鋭である。何より情熱がある。全く妥協のない現場であるにもかかわらず、工事業者や各メーカーもよくこれに応えてくれた。事業をサポートし続けた宮崎県の行政担当者らについても、その目線の高さが日向市や住民と常に同じであった。おそらく現場にたずさわった各人に「自分がやったのだ」という誇らしさがあると思う。 施工現場の会話にその特徴が出ていた。複雑で綿密な打合せにも、「そこまでやる必要があるのか」という会話はついぞ出なかった。またどんな現場でも設計変更は避けられないものだが、そういう場合通常なら、妥協する方向で落ち着こうとするものだ。我々デザイナー側から見れば、そういう瞬間こそデザインを向上させるチャンスといっていいのだが(実はこれがまちづくりの秘訣である)、「それは無理」、「そうする理由がない」と抵抗されることが少なからずある。 日向では、ここでは違った。 「そのほうが良くなりますか?」 他の行政マンが聞けば、この会話のオソロシサが知れようというものだ。 そんなことを思い返しながら、賑わいさざめく広場をそぞろ歩いた。