それもそのはず、このときの本部訪問のあとスギダラバー「志村や」さんで大盛り上がりした結果、2月に内田洋行で窓山コンテスト審査会をやることになったと、東京から戻った加藤さんから電話があったのだ。審査会場は、内田洋行の本社をお借りして、審査会に関して全面的なバックアップをいただき、審査委員長は南雲さんにお願いするという話まで、あれよあれよという間に「すっかり段取りが決まりましたから?」というのである。「ええ?!?本当ですか?」「本当ですよ。千代田さんが応援してくれるって言ったから間違いないです。」「それはよかったですね?!」といったものの、一抹の不安がよぎる。
加藤さんの「よろしくお願いします!」が、どのぐらいバックアップすればいいのかということを、きっと千代田さんは分からなかったに違いない。そう、加藤さんの「お願いします!」は「全部お願いね!(=丸投げ)」と同じなのだ!(オソロシイ?)後日、よもや本当にその言葉通りになろうとは、千代田さんは知る由もない。(合掌)
さてあっという間に10月。20、21、22日に開催される全国木偏のNPO・NGOサミットの開催に向けて準備をはじめた頃、加藤さんから「そろそろコンテストの要項をまとめて、サミットの参加者に配付したい」との電話があり、要項を作成する。わたしはてっきり8月の時点で南雲さんには了解を得ているものと思っていたので、要項案を加藤さんに送って、サミットの参加者に配付した。また、窓山コンテストのホームページを作成するために、はるばる山梨からやってきたデザイナーの持留さんと竹田さんとわたしとで窓山を取材し、コンテストの為に必要な情報の更新をすることにして、窓山ホームページを開設した。
その後11月10日に美術工芸短大の特別授業「杉デザインワークショップ」で、久しぶりに南雲さんと再開。「すぎっちー、あの窓山の話だけどさー・・・・」と、そのとき南雲さんには「事後承諾」であったことを知り、滝汗だった。でも南雲さんは「加藤さんにはほんとびっくりだよ?」と言いつつも快く審査委員長を承諾してくれたうえに、登竜門やスギダラのHPなどにデザイン公募情報を流してくれて、もう本当にそのやさしさに、うれし涙を流したのだった。
今回は予算の関係から、すべてネットを通じての情報提供や事前応募受け付けだったので、当初はそんなに作品は集まらないかも、と思っていたのだが、ふたを開けてみてびっくり。登録者の応募が始まったら、なんと120名を超える方々がエントリーしてくれた。ここからが新たなるスギダラ感動ストーリーのはじまりだったのである。
年が開けて1月下旬、千代田さんから窓山コンテストの段取りについての確認の連絡があった。審査要項はわたしの方でまとめるとして、会場設営や懇親会の段取りなどは作品締めきり後2月22日に行うことになった。もう、本当に内田洋行のみなさんには、おんぶにだっこに、痒いところに手の届く心地よさで全面的にサポートしていただいた。さすが内田洋行の若さ溢れる精鋭デザイン部隊である。
さて審査日前日、最終の飛行機で新入会員の温だらちゃんと一緒に上京。茅場町のホテルで加藤さんと落ち合う。遅い時間だったので近くの赤ちょうちんにいく。よさげな店という飲み屋で、閉店まで審査会の成功を祈って前祝い。なんと偶然にも外壁がスギダラケのお店だった。これもきっと成功の兆しに違いない。星占いもアカサタナ占いも絶好調!もうこれはきっと明日はうまくいく!と確信した。
翌朝10時、秋田から日本酒二升かついできた加藤さんのために、タクシーに乗って内田洋行の潮見のオフィスへ。一階ロビーには、既にスギダラファニチャーが美しくセッティングされている。作品はパネル化してあり、素敵な看板まで用意してある。杉の塀に整然と作品展示された空間が美しい。本当にここでやらせていただいてよかった。これも加藤さんが丸投げしたおかげである。同行した温だらちゃんも、言葉にならないぐらい感激しているのか、言葉が少ない。いや、そうではなく、木材活用部門に作品を応募していたので緊張してたのだった。(笑) |