連載

 
あきた杉歳時記/第13回
文/写真 菅原香織
すぎっち@秋田支部長から、旬の秋田の杉直(さんちょく)だよりをお届けします ・・・・
 
 

秋田県能代市二ツ井町はかつて全国一の天然秋田杉の生産量を誇り、米代川流域の杉の集散地でした。しかし営林署がなくなり、林業を生業とする人が激減、少子化の影響も重なり入学する子どもいなくなる小学校がでてきました。町では、複式学級を解消し、文部科学省が示している30人程度の少人数学級編成を行うため、推定児童数に対する適正規模として、14学級、全町一校体制とし、22年度完成を目標に種梅、天神、田代、仁鮒、切石、二ツ井、富根の7校を統合した「二ツ井統合小学校」の建設を進め、校舎の存続が危ぶまれています。

すでに廃校になった学校も含めて、現存する校舎の7校のうち6校はだいたい1950年頃建てられた木造校舎です。地元産の天然秋田杉を使用し、天杉最盛期の技術を取り入れた木造建築物であり、二ツ井の林業の歴史を後世に継承する生き証人ともいえるものです。そしてまた、地区の良材、土地、資金、保護者たちの献身的な労働奉仕によって建てられた小学校は、その校区ごとの郷土芸能の文化拠点であり、PTA活動を通して協働することを学ぶ場でもありました。



 
  田代小学校の風景。山に囲まれた立地。
 
 

田代小学校。

 
  天神小学校。
 

学校が廃校となり、子や孫の通う学びの場としての機能がなくなったとしても、地域住民にとっては「思い出の学び舎」であることはもちろん、「地域のよりどころ」といった精神的意味合いが強いのではないでしょうか。単に教育的理由のみの視点で、廃校や校舎の存続を決めてしまっていいのかどうか多いに疑問です。文科省では廃校の処分について他施設への転用等を積極的に進めており、秋田県も同様の指導を行っていますが、実際にはほとんどの校舎が未利用・低利用のまま老朽化が進んでおり、解体もやむなしというところまで何の手だてもありません。

人々が自然・風土と関わりながら形成する景観資源には、歴史資源(古道、城址、古民家など)、自然資源(里山、棚田など)、文化資源(郷土芸能、郷土工芸など)、遊休資源(廃校舎、工場跡、空店舗など)などがあります。「学校」は、人材育成や文化活動の拠点として地域の近代化の礎を築きました。そういう意味では立派な歴史・文化遺産です。秋田県内の歴史的文化財は他県に比べても少なく、特に県北地域において50年以上前の古い建築物、特に洋風建築は極端に少なく、旧阿仁鉱山外国人宿舎、小坂町の康楽館、旧小坂鉱山事務所(いすれも重要文化財)、北鹿ハリストス正教会聖堂(県指定有形文化財)の4ケ所以外で文化財指定を受けている以外はありません。

しかも木都能代の歴史を今に伝える文化財としては、登録文化財に指定されている能代の料亭金勇や二ツ井の天神荘に使用されている材に引けを取らない良質の天然秋田杉をふんだんに使用しており、資源が枯渇している現在では、同じような木造校舎を建てることは不可能でしょう。木は適切な扱い方をすれば、伐ったときの年輪と同じ年月を生き続けることができます。木はCO2を固定化する循環型資源ですし、さらにその木が育った環境において使用すれば、より長もちします。二ツ井町に残木造校舎はそのほとんどが天杉最盛期の200〜300年の天然秋田杉でつくられており、育ったこの地に存在し続けることに意味があるのではないでしょうか。

近年、グリーンツーリズム、エコツーリズムなど、農村の文化と景観を資源とした観光が注目されていますが、二ツ井町は変化に富んだ地形、自然と人々の営為によってつくられた豊かな景観で、それぞれの地区の個性が表れた景観と調和した校舎の佇まいは、見るものを惹き付けます。これらの小学校を何の役にも立たない廃校だからといって解体するか、様々な可能性を持つ景観資源として有効活用していくかは自由です。持続可能な循環資源(杉)を育む産業と生活文化を地域ぐるみで継承し、未来の子どもたちへ渡すことは、その校舎で学んだすべての大人たちにいま、できる地域への恩返し、になると思うのです。その拠点として、地元のことを学び、地域づくりをするための場として復興させてほしいと心から願わずにはいられません。

 

 

 
 
  ●<すがわら かおり> 教員
秋田公立美術工芸短期大学 産業デザイン学科 勤務 http://www.amcac.ac.jp/
日本全国スギダラケ倶楽部 秋田支部長
   
   
   
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