特集 2周年 各支部から2周年を振り返って

 
冗談からダラリンまで (秋田支部)
文・写真/ 菅原香織
 
 
   

   
 

▲月刊杉WEB版 二周年に寄せて
秋田支部のはじまりは、3年前の6月、happiのリンクページから「日本スギダラケ倶楽部」という冗談っぽい(失礼!)名前のホームページにたどり着き、ほんの軽〜い気持ちで「ポチッ」と会員登録のボタンを押したことからはじまった。それが今日のような状況になろうとは...一体誰が想像しただろう。月刊杉創刊2周年に寄せて、これまでの激動の2年を振り返ってみよう。

▲ひょうたんから駒、冗談からスギ
自己紹介で「杉キッチン」をスギダラ家の人々に掲載していただいたものの、スギダラ会員証が届いてもしばらくはROMメンバーだった私に、ついに転機が訪れた。「秋田杉ツアー」の幹事の依頼である。スギダラでは「全国の杉産地を訪ね、各地の杉の現状を認識し、相互の友好を深める」事を目的として、既に高知魚梁瀬杉、群馬杉、吉野杉と産地ツアーを実施していたが、吉野杉ツアーが終わった直後の2005年3月26日、南雲さんから秋田杉ツアーの企画・幹事を任せるとのメールが来た。ほとんど面識がないROM会員をツアーの幹事に指名するという無謀ともいえるその「勇気」に感動し、しかもいきなりスギ勝手な注文をする王様のような「大胆さ」にドキドキしながら、「なんだか面白いことになりそう!」という期待もあって、わたしは即答で「喜んでお引き受けします!」と返信をした。

▲時のスギゆくままに
本当のところ、じつは南雲さんとは全く面識がなかったわけではなく、2003年9月にOZONEで開催されたあるデザインの提案展でお会いしていた。その時の南雲さんの提案は「すぎっちょん」をはじめとする「杉材を使った家具の提案」。その主旨には、秋田が抱えている杉の問題と同じ悩みを持つ産地での取り組みが紹介されていた。「こんな面白くて素敵な提案をするデザイナーがいたんだなぁ」とこの「出会い」にワクワクして「是非こういう人に秋田に来てもらいたい!」と思ったものの、会期中声をかけるチャンスもなく、秋田に帰ってきてしまった。
その後、ある雑誌でhappiの活動を知り、冒頭の会員登録につながっていくのだけど、私のことはなんか覚えていないだろうな…と思い、登録の際の自己紹介ではそのことは黙っていた。そんなところに、南雲さんからのお願い!しかも秋田杉ツアーの企画をこの私が断るわけがないのだ。願ったり叶ったりとはこういうことを言うのかもと、杉がもたらしてくれた巡り合わせに感謝した。

▲すぎっちとすぎっちょん
2005年10月、あきた北空港での南雲さんとの感動の再会、スギダラ本部の若杉さん、千代田さんたちと念願の対面。秋田杉ツアーの懇親会では、いよいよ明日は朝7時半から杉の枝打ち体験というのに、前日から寝ていないスギダラ3兄弟やウチダラさんも明け方まで酒を酌み交わし、おおいに語り合い会う。スギダラメンバーはまるで旧知の間柄というか、長い間会えなかった家族の再会というか、初めてなのに懐かしい雰囲気でいっぱい!わたしもどっぷり浸かって酔いしれた。こうして杉絆(スギズナ)で太く結ばれた白神山麓の温泉保養所で、それまでは数人しかいなかった秋田支部が、モクネットの加藤さん、三國シェフ、安保鍛冶屋さんをはじめ、二ツ井の青年部の皆さんが加わってくださって一気に大所帯になった。

▲ぶんぶくスギッチン
2005年12月の月刊杉では秋田特集の記事を寄稿させていただいたのをきっかけに、連載「あきた杉歳時記」を担当することに。年末に月刊杉の編集会議をすると聞き、きりたんぽ鍋のセットを送ろうと思いメールしたら、ちょっと相談があって安保鍛冶屋さんと連絡を取りたいと南雲さんからメールがあった。それがあの「ぶんぶくスギッチン」の誕生のきっかけになったのだから、油断もスギもない。でもこのことは2005年最後の嬉しいサプライズだった。四の五の言わず(言わせず?)思いついたアイデアをあっというまにデザインして作ってしまう、猪突猛進でノリの良いスギダラ本部の連携プレイの素晴らしさ、行動力に、スギダラの極意を垣間見たような気がした。また2月に支部ログ「北のスギダラ」も立ち上げると、ほどなく各地のスギダラが立ち上がり、「日本全国」組織にふさわしい情報発信網も整った。

▲ババへラからオープンカフェ
2006年4月、のしろ白神ネットワーク事務局を担当する明杉さんと杉穂さんがスギダラ秋田支部に入会。のしろ白神ネットワークは日本風景街道(シーニックバイウェイ)に応募して、木を活かした風景街道づくりの活動をしようというグループ。代表は能代市上町自治会女性部すみれ会の能登佑子さん。さっそくスギダラが載っている雑誌やホームページをプリントアウトして、5月、営業に向かった。そこで8月に能代市の福祉施設「サンピノ」で秋田杉のオープンカフェをやることになり、6月にはいよいよスギダラ本部を能代にお迎えしてキックオフ!実際の会場周辺を歩きまがら生まれるインスピレーション、そして駄洒落の応酬に、本部から送られた「傘杉縁台」と「立杉連塀」、YAKITORI-BARの図面や模型の写真を見るまでは、きっと明杉さんたち内心不安だったに違いない。
地元の木材業者さんたちの協力もあって実物も出来上がり、いよいよ本番当日。諸般の事情で当初のデザインより小さいサイズにはなったが、秋田杉が薫るオープンカフェは大繁盛!その後10月には「エコタウンフェスタ」2007年2月には「のしろまち灯り」などの地域のイベントでフルに活用されている。

▲ダラリン、ワラビン、マキワリン
同じ2006年の冬には、二ツ井支所長の加藤さんと、秋田杉ツアーで立ち寄った「窓山」の再生を願う会を立ち上げ、再生プランを全国公募する実行委員会を組織した。ここでもスギダラ本部と株式会社内田洋行様には本当にお世話になった。年が明け、2007年2月28日、内田洋行のロビーで開催した審査会で、偶然にも大賞となった受賞者以外全員の受賞者がその場に居てくれたことにも不思議な縁を感じる。

3ケ月後の5月27日には新緑の窓山にて授賞式が行われた。受賞者のみなさん、スギダラ本部との久しぶりの再会に心が弾む。遠く福岡から杉九の薫杉さんも駆け付けてくれた。授賞式前日は白神山麓岳岱のツアー&杉の枝打ち体験。貸し切りバスに揺られ、ハイテンションに駄洒落を飛ばしまくるスギダラ3兄弟の「語録」を忘れないように書き留めながら岳岱に到着。世界遺産白神山麓に続くブナの森の中をあるき、身も心もすっかり緑に浸った。

   
 
   
 

お昼には素波里湖畔で「馬肉ラーメン」をいただき、1年前秋田杉ツアーで手入れをした梅内の杉林に向かう。林はもっと鬱蒼としているかと思ったら案外と明るく、前回ほどの苦労はなかった。小雨の中2時間ほど作業をしてすっきりとなった林を勝手に「スギダラ林」と命名。通称は短く「ダラリン」と呼ぶことになった。

その夜は授賞式を取材するということでNHK秋田支局の冨田さんも加わって、この春完成したばかりのきみまち塾舎で盛大に前夜祭が行われた。いつもながら最高にうまい三國シェフのきりたんぽをはじめとして、持ち寄った御馳走やおいしいお酒をいただきながら、各受賞者のプレゼンテーション、そしてまちづくりに寄せる思いなど、明け方近くまで大盛り上がり。12人がそのまま杉の木が香る塾舎に宿泊した。

   
 
   
 

授賞式の朝、韓国に研修中のぬぐだらちゃんも駆け付け、受賞者全員が揃う。時折青空ものぞきまずまずの天気のなか、授賞式が行われた。オプションとして田植えと草刈り、散策を行い春の窓山を満喫した。一連の行事が終えたところで、藤里の湯の沢温泉に向かう。そこでも「ダラリン」が話題になり、窓山通貨「ダラリン」を作ってはどうかというアイデアまで出てきた。1ダラリン=枝打ち作業2時間分ぐらい、ほかにも、1ワラビン=ワラビ一束分だとか1マキワリン=1日分の薪割り作業とか、スギスギと窓山再生へのアイデアが収穫できた。秋の収穫祭で、再び窓山に来ることを約束して、一行は各々帰途についた。

▲そしてこれから
近頃、「北のスギダラ見てます」と声を掛けられることもあり、徐々に秋田市にも浸透してきていることを感じる。次のスギダラ活動は、二ツ井のまちなみ景観デザインや、秋田市まちなか再生、秋田わか杉国体、能代での木と建築フォラムの開催、窓山おこぜ祭りなど、まったなしである。そして来年はいよいよ全国植樹祭が秋田県で開催される。しかも植樹祭を取り仕切ってる親分(室長)はスギダラメンバーでもある宮崎さん。お会いする度に「なんかやろう、スギダラサミットとか、スギダラ商店街とか」などとけしかけられている。2年前には考えられない目まぐるしい日々はまだまだ続きそう。でも、少しづつ年輪を重ねるように、スギダラ活動が刻んでゆく未来が楽しみになってきた。

   
 
   
   
   
   
 
 
  ●<すがわら かおり> 教員
秋田公立美術工芸短期大学 産業デザイン学科 勤務 http://www.amcac.ac.jp/
日本全国スギダラケ倶楽部 秋田支部長 北のスギダラ http://sgicci.exblog.jp/

   
   
   
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