連載

 
『東京の杉を考える』/第14話

文/ 萩原 修

あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 
 
 

「ナガレモノ」という言葉が頭に浮んだ。仲間とスギダラトーキョーの活動を考えていた時のことだ。この言葉で、一気にやるべきことが見えてきた気がしている。

何年か前、住まいについての展覧会や本の企画を考えている時に、自分の育った場所と時代のことが気になった。1961年生まれのぼくは、生まれてすぐに、東京郊外の分譲住宅地に両親が家を建てて、引越してきた。父親は、群馬県草津町出身。母親は、埼玉県出身で、戦後に仕事を求めて上京しきた。つまり両親は、東京移民一世なわけで、ぼくは、東京二世なんだということをはじめて自覚した。とくに東京郊外は、戦後に地方からの移民が多い地域で、昔から住んでいた農家の人たちとの折り合いは、いまだについていない気がする。それもそのはずで、郊外に住んでいながら、ほとんどの人が都心に働きにでていて、地域のことを本気で取り組む余裕がなかったからだろう。

東京二世は、こどもの頃は、盆と正月には、親の実家に帰省した。しかし、二世のこどもである東京三世は、田舎というものがない。3世になってはじめて、東京の人間と呼べるのかもしれない。東京には、いまだに地方から多くの人が集まってくる。東京は、地方から流れついた人の場所とも言える。いや、人だけじゃなくて、多くのモノが東京に流れ着く。情報も流れ着く。流れつく先の東京。スギダラトーキョーとしてやるべきことは、人とモノと情報の流れを考え、整備していくこと。地方から集まる人とモノと情報を、東京で受取り、さらに地方に返していくこと。うわ。こんなことを書きながら、やるべきことの大変さに気づく。これって、流通の問題なんだろうなあ。モノは、つくることよりも流通させることが大変なんだと思う。既存の流通じゃないスギダラならではの流通。人と人の信頼関係の上に成り立ったあたたかい流通。わかっているけど、やるとなると大変なんだろうと思う。しかし、流通の問題がなんとかならない限り、スギダラの未来もないような気がしてならない。

1999年に、OZONEで「日本人と住まい 柱」という展覧会を担当した時に出会った山から材を切り出し、川を使って、木曽から江戸に運ぶ1838年頃の絵図を思い出した。現在、山から切り出した杉は、どうやって運ばれているのか。なんとなくわかっているようで、あまり実感がない。産地と消費地をリアルにどうつなげていくのか。産地から東京にでてきている人がその役割を担うことはできないのだろうか。そんなことを少しずつ考えはじめている。

スギダラトーキョーも、ようやくいっしょに活動できる仲間ができはじめた。第一回目の飲み会を開催し、いろんな意見がではじめている。「ナガレモノ」をキーワードに、できることから動きだそうと思う。


 
 

●<はぎわら・しゅう> 9坪ハウス/スミレアオイハウス住人。

 



   
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