特集 杉道具 「暮らしをささえる杉の道具たち」

 
思い出を誘う杉「祖父と豆腐」
文/ 佐藤 薫
 
 
  杉の道具がどこかにないか、と古い道具のありそうな他所の家をあたろうとしていた時、ふと思い出した。祖父の使っていたあの道具たちは、あれは杉ではなかっただろうか。
   
  私の祖父は戦後豆腐屋を始めた。元旦以外休むことなく、高齢で作れなくなるまで、30年以上毎日毎日お豆腐を作り続けた。昔ながらのやり方で、大釜を大きなしゃもじのようなものでゆっくり、ゆっくり回している祖父の腰の曲がった後ろ姿を良く覚えている。型にはめた豆腐をするりと上手に板の上に載せて大きな包丁でさっくり切っていく。1丁づつ、しっかりした形のお豆腐が水の中でゆらゆらしている。祖父は自転車の後ろに豆腐の入った大きな缶を載せて、「ピープー」という笛を鳴らしながら売り歩いていた。お客さんは皆ボウルを持って買いに来ていた。ものすごく昔の光景に思えるけれど、私が小学生の頃はまだやっていたから、20年ぐらい前の話だ。
  蒸気で熱のこもった作業場。大釜の蓋をすぐに開けてみたがった私に「もう少し待とうね。」優しく言う祖父が居る。その光景にあった使い込まれた道具、その蓋もそうだ、大きなしゃもじ、水分を押し出すのに重しとしていた板、豆腐を切るときにさっと下にくぐらせていた板、あれは何の木だったんだろう。そんな問いに親や叔父、叔母は「多分杉だろうね。」そう答えた。あの時代当たり前にどこにでもあったのは杉だったから、多分そう、と。道具を大事に使ってきた祖父も祖母も、もう居ないのではっきりと確かめようがない。でもきっと杉。多分そうだ。杉の道具はあの作業場で祖父と共にあった。妙に納得した。
   
  優しい、物静かな職人の祖父と真っ白な豆腐、年期の入った機械と杉の道具。自転車と笛。どれも今は残っていない。祖父の家が道路拡張で無くなる時、残った道具の一部が近くの豆腐屋さんに貰われたらしいが、皆詳しい行き先は覚えていない。道具のひとつでも残していたらいい思い出になったのに、と今は残念でしょうがないが、もしかしたら今でも別のお豆腐屋さんでひとつふたつは使われているかもしれない。そうあってほしい。
  今回杉の道具探しをきっかけに祖父のお豆腐作りを思い出した。道具には記憶を遡れる力があるらしい。例えそれらが今残っていないとしても。道具を思うとき、それを使う手、人を思う。
  たまらなく祖父に会いたくなった。
   
   
 
 
 

●<さとう・かおり> 1973年生まれ。某大手下着メーカ勤務。スギダラ北部九州広報部長。
天然ユーモアあふれるブログの語りにはファンが多い。
最近魔女のような占い師に「あなたは他人と時の流れが違う」と言われたとか。

   
   
   
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