連載

 
新・つれづれ杉話 第15回 「一合升」
文/写真 長町美和子
杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
  今月の一枚

※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。

なんだか急に涼しくなった今日このごろ。9月に入ると、ときおりコワイほどきれいな夕焼けを見ることができます。真ん中の電柱の左に富士山が見えている のがわかるかなー。実際に見るともっと大きい気がするのですが、写真に撮るとちっちゃくなっちゃうのはどうしてでしょう?

秋の空
 
 
 
 
 
    一合升
 

今、タイトルで「一合マス」と書こうとして、あれ? こんな字だったっけ、と思わず辞書をひいてしまいました(無知だ……)。一升瓶の「ショウ」と同じだって知ってました? 辞書にはちゃんと、「ます【升】液体・穀物の量を計る四角い容器」と書かれていました。そーだったんだー。

横浜の実家の米びつはトタン板でできてる古い小さな容器なのですが、その中に木製の一合升が投げ込まれていて、もう半世紀は使い続けられているので、角がとれていい感じに丸くなっています。で、これも杉の道具特集に使えないか、と思い、実家に帰ったときに改めてよく観察してみたんですけど、この木目はどう考えても杉じゃない……悲しい。しょうがないので、前回に引き続き私だけ勝手に「(杉じゃない)木の道具」について書きたいと思います。

炊飯器を使っている人は、いや、そうじゃなくてもたいていはもう、「米1カップ」って言いますよね。どんな料理本を見ても「1カップ=200cc」が共通の単位になっているので、「一合」と言ってもわからない人がいるかもしれませんが、私の実家では、米を量る一合升が未だに現役で働いているため、計量カップも「180cc」単位なんです。これがまた年季の入ったブリキの計量カップでして、すりきり1杯水を入れると二合、つまり360cc入ります。

私は子供の頃からその計量カップに慣れているので、ケーキをつくる時、牛乳なんか計る場合、目分量で一合にちょっと足して200ccにしたりしてたわけですが、考えてみれば、あの家の中だけ単位に関する時代が完璧にずれているんですよね(笑)

ところで、前に木桶と木樽の話を書いたとき、四斗樽というのは馬の背に振り分けにしたときに、制限いっぱいの重さだから、という理由を知りました。だから、四斗樽があって四合瓶が生まれたのも当然なのですが、不思議なことに四合=720mlってのは、ワインのボトルとほぼ同じ容量なんですよね。それは、日本で瓶がつくられるようになった頃、お手本にしたのがワインボトルだったから、ということもあります。でもこの四合というのは、ワインにしても日本酒にしても、2人で酒を酌み交わす時にちょうどいい量だと思うのです。(いや、そんなもんじゃとても足りない、という人もいるでしょうけど) 持ち運びにちょうどよく、胃袋の大きさにもちょうどよく、ついでに言えば、肝臓の機能にも見合っている、四合って単位は非常にいい量です。

浅草のお気に入りの店では、お酒を頼むと一合升で酒を量って、アルマイトの漏斗(じょうご)で徳利に入れてくれるのですが、先代から使い続けられている一合升は、漏斗の中で返されるたびに少しずつ削られて、もうすっかり角が丸くなっています。カウンターに座り、店の主人の流れるような手さばきと、使い込まれた升を見るたびに、またこの店に来れてよかったなぁ、としみじみ思うのです。

さて、実家の米びつの一合升ですが、母には「このマス、絶対捨てちゃダメだからね」と念を押しています。母が使わなくなったら私がもらうつもりでいます。でも使わなくなる時がこの先もずっと来ないことを祈っています。

   
   
 
 
  <ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり

   
   
   
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