特集 杉道具 「暮らしをささえる杉の道具たち」

 

杉道具考・後編 (エコプロダクツ展2007にも寄せて)

文/写真 石田紀佳
 
 
 

世の中には、いっさい手も触れずに病気をなおす超能力者のような方もいるようですが、凡人のわたしは実物に触れてこそ相手を知ることができます。また知りたい相手には触れたくなるものです。

  だからスギを知るにはスギに触れる。知るというのは、好きになることにつながっています(知ってイヤになるときもありますが)。あの人のこと知りたい、と思ったら、それは恋いこがれのはじまり。「あなたの過去など知りたくないの」とはいっても、今のあなたについては知りたいのです。今のあなたに触れたいのです。
  といっても、わたし自身はスギをどのくらい好きなのかよくわかりません。でもとても気になる存在です。サクラのスプーン、クルミの皿、ナラの椅子を愛用しているけど、スギはそれらとは違ったニュアンスで気になる。スギにまつわる諸事はのっぴきならないところまできていて、わたしなどがちょっと動いたとしても、どうにもならないと、非常にさめた気持ちもあってのこと。スギにまつわる現実を知りはじめ、なにか解決できないものかと考え実践しようとすることに、なぜだかわからないけど、強くひっぱられます。なんなんでしょう。
  スギが経てきた歴史や現代における杉林業の矛盾。。。スギには人間と植物の関係が色濃くつまっているからでしょうか。ともあれ、まだまだわたしにはわからないことだらけだから、しばしつきあってみたい。そういって一生になる、ってこともあるんでしょうね。。。
   
  ということで、杉の道具特集後半。この後半を編集している間に、わたしはエコプロダクツ展(日本経済新聞社主催)というイベントに出る宮崎県南地域のアドバイザーの仕事をはじめました。飫肥杉でつくる製品を出品するお手伝いです。去る9月13日に出展者説明会に行きましたが、今年は去年よりも参加者が増えていました。エコプロダクツ展、どんどん人気だそうです。異常ないきおいだなあ、と恐くなるくらいです。
  ま、それはともかくとして、飫肥杉をエコプロダクツとしてうちだすなら、スギが山で育って、その山がどのように周囲の環境とつながっているのかを考察するのが当然でしょう。人工的につくった杉山はすでにプロダクトですから。でも現在はこの杉山がエコプロダクトなのかどうかは疑わしい。このあたりから考察して未来の杉山づくりからスギ製品づくりまでを提案してこそ、スギはエコプロダクツになりうる。しかし簡単ではありません。感性をとぎすませて、ひろげなければできない。生態系に関する知識や、それをリアルなものとして感じる五感に加えて、「杉時間感覚」が必要です。
  スギを育てる人は100年単位でものを見ている。杉時間です。でもわたしなんてせいぜい3年先、子供のいる方ならその子が成人するくらいとか。もちろん老後のことをちゃんと考えている人も少なくないでしょうが、自分や係累のことに終始している。では社会を意識しているはずの企業はどうかというと、短期展望、中長期展望など、コンサルティング会社に高いお金を払って、レポートを作成したりしますけど、なかなか100年単位なんてありません。100年以上つづく会社がそうそうないですし、やっぱり自分とこの会社がもうかることに終始する。
  エゴイスティックに利潤を追求すれば世の中は進歩発展するというのが資本主義の一面ですし、わたしも自分さえよければ、というところからぬけられません。でも自分の枠組みをもっとひろげたい、との願いをひそかーぁにもっています。血縁という枠組みも、人間という枠組みも、もっとひろげて生きたい。たぶん人類が潜在的にもっている願いじゃないでしょうか。エコロジーってそういうことだとわたしは解釈しています。個であるけれども全てはつながっているのですから。
  一人の人間よりも長い時間を生きるものを育てる。天然に育っていたものを採るだけでなく、世代を超えて積極的にかかわって、使う。いったいいつからそんな感覚を人はもったのでしょうか。すばらしい感覚ですよね。育てることなしにただ採るばかりの石油(採掘や精製加工技術は高いが)とのつきあいとは違います。
  スギにとりくめば、世代を超えた時間感覚を身につけることができそうです。逆にいえば、その感覚がないとスギにとりくめない。今、このことを切実に感じます。
   
  今回寄稿いただいたマルマタ醤油さんの道具があたりまえに使われていたのは高度成長期以前です。わたしは生まれる前ですが、そのころまでの風俗画や写真を見ると必ずといっていいほどスギの桶や箱が写っています。それが石油由来のプラスチック製品や鉄鋼素材のスチール製にかわっていき、今ではそれらなしには生きられません。でもプラスチックやスチールだけでも生きられない。スギの道具自体が手触りがいいし、スギは山とつながっているのだから、なんかしらのかたちでつかっていきたいですよね。
   
  どうやらスギの道具は、育てつづけて、使いつづける暮らしにしか存在できないようです。そしてスギという素材はチョイ量産にはむきますが、超大量生産にはむかない。だから、量を売らなきゃ儲からない、安い賃金でものをつくってたくさん売れる市場をもとめてどこまでも。。。というサイクルにはスギは入れないのです。日本という人件費の高い地域の産物でもありますから。
  はあ、いったいぜんたいどうしましょうか。答えはありませんが、この稿のしめくくりに、未来の生き方を考える道具として杉山があると書かせていただきましょう。杉の道具はスギの山にのぼるための杖のようです。
   
  終わり
   
   
  山登りが好きな人が高尾山をハイキング中にひろった杉の小枝でバーズコールをつくってくれました。これも杉の道具です。チュルチュルとかわいく鳴きます バードコール
   
  杉三兄弟
  久しぶりに登場の観葉杉三兄弟。三本それぞれ個性がでてきました。
   
   
   
 
 

 

●<いしだ・のりか>フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社

   

   
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