連載

 

杉で仕掛ける/第3回 「スギダラ活動の基本」

文/ 海野洋光

 

 
 

世界を廻って感じたことがある。とは言っても20カ国ぐらいしか知らないけれど・・・。(しかも主に途上国ばかり…)日本のように工業立国として経済発展を遂げた国もあれば、工業化ができない国は、外資を得るために自国の資源を他国に切り売りをし、急速な発展をする国もある。他国の人を招きいれ、外資を落としてもらう観光立国もある。貧する国の中には、富める国の援助によってなんとか成り立つ国もある。

「はるばるこの国に来たのだから…。何度も行ける国じゃないから…」とその国の有名観光地に足を伸ばす。世界の有名観光地は、確かにどこにもない唯一のモノがそこのある。そして、世界中の人が集まり、お金をその土地に落として、その土地の経済が立派に成り立っている。

まちづくりの専門家と称する人のなかに自分たちの地域に、まちに日本中で、世界中で唯一なものをまちづくりのシンボルにしようと「オンリーワンのまちづくり」を提唱する人がいる。確かに名所旧跡などは、その地域や町に光り輝くダイヤモンド(オンリーワン)があればまちおこしや地域活性化の目玉にして観光客を集めることができる。

でも、どこにもないダイヤモンドの原石(オンリーワン)がそのまちにあったとしても宝石のダイヤモンドに磨く労力や必要なエネルギーの損失までは、測ってくれないし、その補い方までは伝えない。まったく無の状態の土地、ただの石ころから多くの人を惹きつけるオンリーワン(宝物)に進化させるには、とてつもない労力と時間・資本力が必要であることを教えていない。成功者に教えを請うても、言葉は「たまたま運が良かった・・・」とうやむやにする。

海杉は、「オンリーワンのまちづくり」を言っているコンサルタントや成功者は、自分の築き上げたものは「大変なんだよ」「真似をするなよ」と言っているに過ぎないこと思うことにした。

どこにもないオンリーワン(宝物)をまちづくりの核にするのは、理屈は簡単だ。だが、簡単に見つからない、見つけることのできない地域の人たちの方がたくさんいて、戸惑いと無力感に打ちひしがれているのが実態だろう。できたら、とっくの昔にやっているはずだ。

自分の宝物を真似されたくない成功者は、自分のまちづくりを守るために「オンリーワン…」を唱えてもいい。でも、何をして良いのか手段に困窮している村や町の人たち(素人)を「オンリーワンのまちづくり」という手法で導こうとすることだけはやめてもらいたい。「オンリーワンがないからまちづくりができない」と思い込ませるだけだ。

海杉は、どこにでもある何の変哲もないまちでもまちづくりはできるし、まちの人たちがとたんに元気になることができる方法があるはずだと考えていた。

スギダラの活動は、まさにその実例だろう。スギダラのシンボル「杉」は日本中、どこでもある。しいて言えば、厄介者。でも、スギダラの手にかかれば、とたんに輝く。自分たちのまちにふさわしいものに変身するのだからたまらない。

なぜだろう。
   
  杉屋台
  杉の屋台
   
 

その答えを話す前に、地方の現状から話をしたい。かつて、日本は、富国強兵のスローガン唱えた中央集権国家が、欧米化、近代化の名の下に労働者を都市に集め、効率の良い産業形態を作った。終戦、高度成長期などの時代は変わっても、地方から都市への人の移動は止まらず、引き換えに地方でも所得は上がりやインフラは整備された。しかし、都市が地方のものづくりの技術を奪っていったことには変わりはなかった。

昔、海杉のまちにも帽子屋や鍛冶屋があった。記憶では、鉄砲鍛冶もあった。でも今はない。地方にあった多くのもの作りの技術は、大量生産、大量消費の経済の波に飲まれ消えていった。生活に根ざしたものづくりの技術が消えてしまったのは、どの地方も同じ状態だ。

スギダラの活動の原点は、杉でモノをつくる、地元でつくるというシンプルな行動にある。杉という素材は、加工性や価格の面で優れていることは、誰が見てもわかる。スギダラ活動で幸運なことは、その杉を使ってモノを作る人が地方にまだ残っているということだ。家具屋さん、建具屋さん、大工さん、製材屋。モノづくりのプロフェッショナルが木材の分野だけは何とか地方で生き残っていたというわけだ。地元の素材で地元の人が作り、地元で元気を出すアイテムとして地元の人が使う。スギダラが元気である証はここにあると思う。

この地元の動きに連動して「どんなモノをつくるか」「どんなモノが必要とされているのか」デザインチームの羅針盤機能が活動にサポートして加わる。そこからスギダラならではの、システムが本格的に動き出す。もっと面白いことは、地方の人たち(極々普通の人)が、自分たちでもできることを思いつく、そして実際に行動を始める点だ。相乗効果てきめんだ。このシステムの仕掛けに気づいたのは、富高小学校の課外授業「移動式夢空間」を体験した時だった。地元の材、地元のこどもたち、地元の技術職人、そして、アイデアを具現化するデザイナー。みんなの喜ぶまちづくりは、特別なものでない。このあたりは、18号でも書いた「鍋」で十分、説明したので割愛するが、スギダラの活動は、どんなものにも応用が利きすぐに始められる点だ。

「海杉さん!自分たちのまちでもはじめるから応援してよ」
「いいですよ」
「どうして、宮崎は活発なの?教えてよ」
「いいですよ。いらっしゃい」
「材料がないんだ。杉材送ってよ」
「いいですよ。どんな材が欲しい?」
「ぼくらのまちづくりでコレ使いたいんだ。作ってよ」
「え!!ちょっと待った」
「スギダラのポイントは、モノづくりの人たちとコミュニケーションをとれることからはじめるんだ。自分たちの活動を理解してくれるモノづくりの人を見つけられることができるか、できないかで活動がスタートできるかできないかが決まるといっても過言ではない」
「そんな人いない!!」

「よく探すんだ!きっといるし、スギダラの活動を知ってくれれば、必ず力になってくれるよ。もし、すぐに見つからなくても、まずは、自分で作ってみることも大切なんだ。材料はあるし、浮かぶアイデアは、もう一杯あるだろう?」
   
 

杉でモノをつくる人たちは、この時代に少々、引け目を感じている。『スギダラケ宣言』に書いてある通りだ。スギダラメンバーは、何だか楽しそうにそして、一生懸命自分の愛する杉を大切に思ってくれている。知っただけで、応援したくなるし、どんなに忙しくても引き受けてしまう心意気ってモノがまだ残っている。

自分たちでつくってみるという行動も大切だ。その作品に込められた想いやアイデアが多くの人の感動を呼び、また新しい行動につながる。

スギダラは、誰もが喜ぶ活動で持続できる力を持っている。もっともっと多くの人にスギダラの良さを知ってもらいたいとそんな願いを込めてこの連載を引き受けた。連載はまだまだ続くだろうが、このスギダラの活動の基本は、決して変わらないだろう。
   
   
   
   
   
 
●<うみの・ひろみつ>日向木の芽会
HN :日向木の魔界 海杉
   
 


   
  Copyright(C) 2005 Gekkan sugi All Rights Reserved