世界を廻って感じたことがある。とは言っても20カ国ぐらいしか知らないけれど・・・。(しかも主に途上国ばかり…)日本のように工業立国として経済発展を遂げた国もあれば、工業化ができない国は、外資を得るために自国の資源を他国に切り売りをし、急速な発展をする国もある。他国の人を招きいれ、外資を落としてもらう観光立国もある。貧する国の中には、富める国の援助によってなんとか成り立つ国もある。
「はるばるこの国に来たのだから…。何度も行ける国じゃないから…」とその国の有名観光地に足を伸ばす。世界の有名観光地は、確かにどこにもない唯一のモノがそこのある。そして、世界中の人が集まり、お金をその土地に落として、その土地の経済が立派に成り立っている。
まちづくりの専門家と称する人のなかに自分たちの地域に、まちに日本中で、世界中で唯一なものをまちづくりのシンボルにしようと「オンリーワンのまちづくり」を提唱する人がいる。確かに名所旧跡などは、その地域や町に光り輝くダイヤモンド(オンリーワン)があればまちおこしや地域活性化の目玉にして観光客を集めることができる。
でも、どこにもないダイヤモンドの原石(オンリーワン)がそのまちにあったとしても宝石のダイヤモンドに磨く労力や必要なエネルギーの損失までは、測ってくれないし、その補い方までは伝えない。まったく無の状態の土地、ただの石ころから多くの人を惹きつけるオンリーワン(宝物)に進化させるには、とてつもない労力と時間・資本力が必要であることを教えていない。成功者に教えを請うても、言葉は「たまたま運が良かった・・・」とうやむやにする。
海杉は、「オンリーワンのまちづくり」を言っているコンサルタントや成功者は、自分の築き上げたものは「大変なんだよ」「真似をするなよ」と言っているに過ぎないこと思うことにした。
どこにもないオンリーワン(宝物)をまちづくりの核にするのは、理屈は簡単だ。だが、簡単に見つからない、見つけることのできない地域の人たちの方がたくさんいて、戸惑いと無力感に打ちひしがれているのが実態だろう。できたら、とっくの昔にやっているはずだ。
自分の宝物を真似されたくない成功者は、自分のまちづくりを守るために「オンリーワン…」を唱えてもいい。でも、何をして良いのか手段に困窮している村や町の人たち(素人)を「オンリーワンのまちづくり」という手法で導こうとすることだけはやめてもらいたい。「オンリーワンがないからまちづくりができない」と思い込ませるだけだ。
海杉は、どこにでもある何の変哲もないまちでもまちづくりはできるし、まちの人たちがとたんに元気になることができる方法があるはずだと考えていた。
スギダラの活動は、まさにその実例だろう。スギダラのシンボル「杉」は日本中、どこでもある。しいて言えば、厄介者。でも、スギダラの手にかかれば、とたんに輝く。自分たちのまちにふさわしいものに変身するのだからたまらない。
なぜだろう。 |