特集 杉コレ in 都城

 
杉コレを振り返って
文/大西一徳
 
 

 

杉コレの一次審査が9月上旬、最終審査が開かれる「宮崎やまんかん祭り」が10月下旬の約一か月半、森会長、若松専務理事、持永実行委員長、各部会長をはじめ会員の心労は頂点に達していたと思う。
それでも、実行委員長は作品の4件に関わり、専務理事は杉の魂を凝縮したような作品と格闘し、杉コレ部会長は会場設営まで担当していたのだから、かなりの負担だったと思う。そう考えると私は苦労した、というより、不安だったといった方が適当だという気がする。最終候補作を眺めつつ、予算書のことばかり考え、実務も何をどうしていいのか、不安ばかりが先に立った。
具体性を持たない困難は不安を煽るばかりだと、積算資料のようなものを作ったのだが、これが概算ばかりの実態の見えぬお化けみたいなもので、制作方法が目に見えてこない。
謳い文句の100m3は、基準であって想定内だったが、実際は加工・施工費が最もかさんで、ちょっとした仕様が思わぬ経費を呼ぶ。
一様に杉コレの作品というのは、矜持の高い作品群で、それが最も大きな困難で経費もかさむ点であり、最も大切な点だっただろう。

 

私が関わった作品は二件で、そのうちNO.116 Simabandha-Prevention against evil の作品は、地面高8m超の頭部の大きい不安定な塔のような工作物(基礎施工なし)で、その安全性の課題は作れば終わり、という問題ではなく頭を悩ませた。加工も複雑で図面が描けるようなものではなく、模型をトレースしつつ、3分割しながら加工・仮組みを同時に行う作業だった。当日の万一の安全面は細心の注意を払ったつもりだが、「大丈夫だろう」という気持ちと「万一、倒壊したら」という不安は常にあった。
歪みを何度もやり直し、意見も衝突させるうち、口もきかなくなった大工が施工前に、浮かぬ顔ばかりする自分を叱咤した。
「俺らが肚をくくったんやから、お前もくくらんこち。」
中心にいるはずの自分以上に、責任を自覚していた大工に恥ずかしくて頭が下がる思いだった。準備に携わる会員のプライドを賭けた真摯な姿も同じで、多くの方々に支えられていることを意識して、会員の矜持が「恥ずかしい真似はせん」と積算を超える杉コレ・やまんかん祭りを作り上げたと思う。
今になれば、苦労したことは覚えておらず、美化したような思い出ばかりで気恥しい。が、残ったものはすべて分かちあったもので、「もう一度」と言われると、一瞬躊躇する癖に、何だかすごく寂しく妙に懐しいという気がしている。

 

  工場内にてやぐら頂部の制作
   

公園内で最終組み立て
  やぐら 見上げ


 
  ●<おおにし・かずのり>
都城地区木材青壮年会
株式会社トーア 木材部 業務課長
スギダラケ倶楽部 会員NO,646
   


 
 
   
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