連載

 
東京の杉を考える/第20話 「目ざわりな杉」
文/ 萩原 修
あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 
 

素材感が気になるほうだ。デザインは、色や形も重要だけど、何よりも素材のことが気になってしかたがない。なぜか昔からそうだったことに最近気づいた。というより、この文章を書きはじめて、いろいろ思い出した。

そもそも、大学では、視覚伝達デザイン学科というビジュアル重視の学科だったのに、なぜか平面的なグラフィックには、それほど興味がわかなかった。サインや、パッケージといった環境や空間に関連した課題が好きだった。平面だけの世界ではなく、リアルな物質をともなう環境が気になった。卒業制作では、アクリルとカッティングシートで立体の文字をつくった。

卒業後は、印刷会社に就職した。出版系の会社にもうかったけど、実体のつかみにくい情報だけの仕事でなく、紙とインクという物質をともなう現場に近いところにいたいと考えた。工場実習は3ヶ月にわたり、このまま一生、工場で働くのも悪くないと思った。モノを生み出す現場には、大変だけど、ウソじゃない何かがある。

印刷会社の社員だったのに、印刷のクオリティには、鈍感だ。とりあえず、何が印刷してあるかわかって間違いがなければいいと思ってしまう。それよりも、印刷してある紙の質感が気になってしかたがない。本なども手ざわりや空気感が気になる。

印刷会社時代には、なぜか住宅の部材や照明器具のカタログなどをつくる機会が多くて、どう伝えるか、どう表現するのかにはこだわったけど、そもそも、そこに掲載する商品にことが気になってしかたがなかった。商品そのものをつくることから携わりたいと思った。

転職先のリビングデザインセンターOZONEで、家具や日用品をてがけるデザイナーと知り合うようになって、モノをつくる魅力にますますひかれていった。それまで仕事でつきあってきた平面系のデザイナーとは、あきらかに何かが違った。モノを情報としてではなく、環境として捉えているんだとわかってきた。というか今書いていて、そういうことななんだと自分で納得した。

独立後にてがけた仕事で、「素材から発想するプロダクト」というのがある。木、革、漆、磁器、硝子、鋳物の6素材を12人のデザイナーに料理してもらった。用途よりも素材の魅力を引き出すことを中心に考えた。使わなくっても身近に置いておきたいと思うモノがあってもいいと考えた。

ここまでダラダラと書いてきて、自分と素材の関係みたいなものが少しだけわかってきた。先日、あるグラフィックデザイナーが「目ざわり」という言葉が気になると発言していた。手で触れるように目でも触れているんじゃないかと。理屈じゃなくて、感覚的な見方がもっと必要なんじゃないかと。なるほどなあ。ぼくも、実は「目ざわり」な人だったんだ。

あらためて、「杉」という素材に目で触れてみる。森にある「杉」。そして暮らしの中にある「杉」。知ってるようで知らない「杉」。人と「杉」との無理のない心地よい関係が見えてきたら、「杉」という素材がもっと活きてくるのだろう。そのために、「杉」の「目ざわり」を今後も実感していきたい。 

 

●<はぎわら・しゅう> 9坪ハウス/スミレアオイハウス住人。

 



 
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