まさか、杉をカギに「銀の匙」を読むとは思っていませんでしたが、そうやって読んでみると、中勘助がひとつひとつのことばをどれほど大切に選んでいたかがわかりました。書き流す、ということはおそらく彼にはなく、だから寡作でもあるのでしょうけど、詩を書こうとして日本語の限界を知り、散文にいった人だけに、むだな言葉というものがありません。
前編にはたくさん書かれていた杉垣が後編では一度しか(読み飛ばしているかもしれませんけど)でてきません。その一度きりがとてもきいています。
「陰気な柴垣のあいだをぐるぐるまわっているうちにいつとはなしに寂しさがこみあげてたまらなくなってきた。一所懸命まぎらそうとしても家の杉垣だの、茶の間の様子だのそんなものばかりが目に浮かんできて〜涙がぽとりとひざかけのうえにおちる」
杉垣は、主人公とはまったく性格の違う兄につれられて海岸の村に滞在したときに、彼のホームシックをあらわします。わたしも「杉垣」ということばだけで、前編でくりひろげられた小さな世界、杉垣でまもられた彼の暮らしを思いうかべます。緑の葉のない枯れ枝の「柴垣」とつやつやつんつんの葉の「杉垣」。
弱虫で女々しい男の子は、まずは杉垣の中で成長し少年になり、後編では杉垣から出て青年になっていくのです。その道のりが描かれています。
もっとも女々しさは彼の気質なので変わりませんけど、ひろい世界で生きていけるようになるのです。兄との違いを自覚して自分の道をそれなりにいこうとするし、題名になった「銀の匙」を彼にあたえたおばさんとも別れます。
杉の木じたいもまるっきり登場しません。杉という文字は、後編にはひとつきりなんです。かわりに少林寺の境内にある多種多様な広葉樹が出ます。少林寺というのは貞ちゃんというひとつ下の少年の家でした。病弱だった主人公はここで木の実を食べたり、蝉採りをします。
「ひっこみがちな憂鬱な子供が太陽の光のしたでのみ授かることのできる自然についての子供らしい知識をたくわえたところ」でした。
人はもってうまれた性質もあるけれど、うまれてからのまわりのできごとで育っていくのだと、自分の子供時代のことを思い出します。私は金沢のわりと町のほうから、8才のときに郊外にひっこして、最初は先住民(?)の子たちにいじめられながらも、朝から晩まで土の上で過ごしたことが宝物になっているようです。勘助のように、宝箱に幼いときからのものを集めてはいませんけど、彼にとっての「銀の匙」みたいなものが私にもあるのだなあ、と思います。
やさしく見守ってくれる杉垣のないかなしい生い立ちの子もたくさんいますが、ひとつだけでも銀の匙のようななにかを彼らがもつ、感じることができたら、と願います。
次回は小町さんおすすめの大庭みな子著「火草」を読んでみます。こういうきっかけで本を読むのも楽しみです。
追記:その後、後編にも杉の木がひとつ出ているのをみつけました。ごくごく最後の方で、ばあやが生まれ故郷の「鎮守の杜の大杉」にかけたコウノトリの巣について話した、というシーンで。
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