今回は長町美和子さんより紹介いただいた本です。
『「火草」を読んでみてください。
杉の木としてではなく、道具として杉の板が登場しています。
最初に読んだときは、その前に載っている「三匹の蟹」とのあまりのギャップに驚いて、
何がなんだかわからない、衝撃的なお話でした。
他にもいろんな植物、樹木の名前が出てきて、野性がむんむん漂う世界です。』
大庭みな子さんの本を一冊も読んだことがない私は、てっきり日本のお話とばかり思っていました。それもかってに長町さんがいうのだから江戸時代が舞台のような気がしていました。かってなもんです。
数行読むとそれはインディアンのお話でした。
だからここででてくるスギは、シダーであって、スギ科スギ属のスギとは違うのですけど、日本人にとってのスギと同じように北米のインディアンにはなくてはならない木なのでしょう。
杉、と書いてあると、アメリカンレッドシダーとかと書かれるよりも、ぐっとリアルに感じられます。
この小説が書かれたのは、若者対向文化が花開いた60年代ですが、ここではさいごに年寄りの知恵みたいなものが勝つようにもみえます。年寄りというと、違うかも知れません。年寄りは年寄りでも、彼はとても思慮深い人でしたから。まだ一度しか読んでいないので、浅い読みでもありますが、なんか軽はずみなものに対する警告みたいなものも感じます。
「ツグミ」を個人のトーテムとする若者は、「雷鳥」であるオサが教えてくれたさまざまな技を、白人から買った道具と組み合わせて改良します。もはや、雷鳥から学んだということは忘れて自分ひとりで得たものだと勘違いもしています。
タイトルになっている「火草」は赤い花を咲かせる植物で、この名をもった女性があらわれます。植物もまたトーテムになるのでしょう。若くて野性味をもったいい女でした。しかしツグミの子をみごもった火草は死にました。生まれてくる子のために赤杉でゆりかごをつくってもらう約束をしていたのに、その前に死に、亡骸は杉の板の上にのせられます。
火草は杉の器でその生涯さいごの食事をします。
「雷鳥は野芹を指でちぎり、赤いすっぱい野苺の実を枝からはずして杉をくりぬいた器に盛った。この柄杓状の木の器には彼等氏族の紋章である鴉の彫り物がしてあった」
なぜ火草が死んだか、いっけん賢く(あるいはずるく)ふるまうツグミには知るよしもないが、雷鳥の妻、「沢の女」がすべてを知っています。
この沢の女が強烈です。長年の火番でまぶたがめやにではりついて、もうめったに目をあけない。でもなんでも見えている。
かつて雷鳥もツグミのような若者だったし、火草もまた沢でいきのびたのだから沢の女のようになれる素質はあったはずなのに……。
同じようなことがくりかえされる、しかしまったく同じではないのです。
深い知恵、すなわち、さきを、おくを、見ぬく力の強さを雷鳥や沢の女はもっています。
どうして、ツグミや火草は、雷鳥や沢の女のようになれなかったのか。あるいは生きのびたツグミにはまだチャンスがあるのだろうか。
「野性の思考」ということばがうかびます。 |