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北山杉は北山丸太、磨丸太ともいい、近くの菩提の滝(北区鷹峯菩提)で取れた砂で磨き製品にした。一般に杉樹は一樹一幹のものであるが、北山丸太は一株から数十本の樹幹を萌生して、いわゆる一樹多幹の杉から仕立てられる。育った枝を切ってはまた次々と枝を萌芽させるやり方で、この杉を台杉という。品種としては白杉、柴原、種杉などがある。台杉の植栽は室町時代の応永年間(1394〜1428)に始まるといわれ、“茶の湯”の流行によって数寄屋造の建材として柱・桁や垂木丸太として生産された。近年は高級建材の垂木や床柱の需要減で、台杉仕立てから、生産効率の高い一代限りの一樹一幹で育てる一斉林方式が主流である。世界に誇る林業技術財産であるが外材におされて不況にみまわれている。
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北山杉は、「京都府の木」として1966年9月に制定された。中川の中川八幡宮北側に記念樹が植樹されたが、一樹多幹の台杉(種杉)である。したがって、実は千重子の見た北山杉というのは台杉である。川端が文庫本で「じつに真直ぐにそろって立った杉」「白杉の丸太」と描写しているが、同「解説」で評論家山本健吉が「一本の台木から何本も脇芽を垂直に成育させ、台木は何本もの蝋燭を立てる燭台のようだ」と述べている(写真左)。だから東山魁夷の「冬の花」は、『古都』最終章の見出しに因んだものだが、かつて中川や鷹峯一帯で優勢だった台杉群落を描いたものである。
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4月6日の日本全国スギダラケ倶楽部主催の京都・北山杉ツアーで、参加者の皆さんに東山魁夷の作品をお見せしたが、前述の2作品のほか、「周山街道」もある。いずれも穂先が毛槍のような台杉特有の樹形を表現し、絵柄からも中川周辺は昭和30年代当時は至る所で台杉群落が見られたことを物語る。魁夷は自身の感性に合うのか日本特有の杉が“ダイスキ”とみえ、全国各地の杉風景を描いた作品が多くある。「緑の谷」「山雲」などもそうだが、すべて一本立ちの杉の樹形で、台杉の樹形とはきちんと描き分けている。
なお、北山杉生産の中心地である中川や周辺山地は、近世までは地名としては北山と呼ばなかった。「北区中川北山町」という町名があるが、昭和23年に成立した町名である。つまり、「北山杉」という言葉は古くはない。「北山」は明治期までは、世間では金閣寺周辺の地名を指した。吉田東伍『大日本地名辞書』(1900〜09)に「北山 衣笠村大字北山は南北に別れ、北を大北山と為す。凡北に愛宕郡岩倉村大宮村鷹峰村にも北山の名あれどその顕著なるはここなり。金閣在るを以て殊に世に聞ゆ」とある。金閣寺は足利義満の建てた山荘・北山殿の一部だが、室町時代美術の「北山文化」で知られた(綱本逸雄「『北山杉』という言葉」〜京都地名研究会「地名探究」Vol3・2005年)。
「北山丸太」は江戸後期の上田秋成『胆大小心録』・八(1808)にみえるのが早い例だろう。明治初期の京都府編『京都府地誌』(1875〜1918)には、「中川村 杉丸材1万3000本北山丸太と称す」とか、北隣りの「小野村 杉板木質美北山杉是也」と載り、「北山杉」の名称はこの頃から登場した。
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おしまいに、北山杉についての誤解が世間に流布しているので若干指摘しておきたい。
新潮文庫本『古都』のカバー絵は、女流装幀家、ケルスティン・ティニ・ミウラ女史による製本装幀で、実績に『古都』を挙げている。だが、みるように杉は一本立ちで台杉でない。
『原色植物図鑑U』(北隆館、1991)は『牧野日本植物図鑑』のコンパクト版である。「アシウスギ(ウラスギ)」は、天然であるはずの絵に挿入句「人工樹形」とあり、北山台杉を描く。この絵を見て「下枝は下垂し地をはい、根生し、新株を形成」という解説文は読者に理解できないだろう。
インターネットで「京都府の木」を検索すると右の絵が出てくる。一本立ちであり、記念樹の台杉でない。
『日本史大辞典』(平凡社)、『世界大百科事典第2版』(平凡社)は同一執筆者でもあるが「北山杉 室町時代から北山磨丸太の名で知られ」とあるが、当時、中川周辺に「北山」という地名はない。『日本史用語大辞典・参考資料編』(柏書房)は「近世諸国物産一覧 山城国 北山杉」と記す。
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京都府の木 北山杉
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宗政五十緒(龍谷大名誉教授)『京の名所図会を読む』(東京堂出版)は『拾遺都名所図会』(1787年)の解説書だが、原文にない「北山」の項で(原文は「大木を筏として落す図」)、「挿絵は『北山杉』を伐採して、川の流れを利用して運搬」と解釈している。近世に北山杉という語がなかったことは前述した。ついでにいえば、当時筏流しは杉だけでなく檜(扁柏)、櫟(イチイガシ)、松、竹なども含まれる(『京都府誌』)。 坂本喜代蔵『北山杉の今昔と古建築』(大日本山林会)は、北山林業の研究書として労作だが、室町期以後の沿革史を叙述するのに『京都府山林誌』を頻繁に引用しながら、近世以前の記述で「北山」「北山台杉」という言葉自体を検討しないで繰り返し用いている。同書にわざわざ「台杉ヲ目シテ北山台杉ト称スル蓋(けだし)シ這般(しゃはん)ニ因ミタルニ非ラサルナキ」と、かつてはこのような呼称はないだろうと断っているにもかかわらずである。
他にもいくつかあるが、以上みるように、昨今の北山杉に関する出版物は、キーワードそのものの植生の検討、成立時期・変遷等の歴史過程の検討が不十分なまま使用されている刊行物が目立つ。(了) |
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中川にて、川端康成が見たという台杉を背にスギダラメンバーに熱く講義する綱本氏
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●<つなもと・いつお> 京都地名研究会事務局長
1941年福岡県生まれ。日本地名学研究所研究員、全国地名保存連盟会員、日本植生史学会会員、日本宗教民俗学会会員、歴史地理学会会員ほか。
著書に共著『語源辞典植物編』(東京堂出版)『京都の地名検証1』『京都の地名検証2』(いずれも勉誠出版)『奈良の地名由来辞典』(東京堂出版、近刊)『大阪地名の謎と由来』(プラネット・ジアース社)『日本地名学を学ぶ人のために』(世界思想社)『日本地名ルーツ辞典』(創拓社)ほか。
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