今回とりあげる「雪くる前の高原の話」は知らなくても、「赤いろうそくと人魚」はみなさんもご存知かもしれません。わたしも小さいころ影絵で見て(テレビだったかもしれない)、なんとも恐く、でもきれいなような、そんな思い出が残っています。でもタイトルにもなっている赤いろうそくと人魚、そして海の嵐だけを絵としておぼえているだけで、話の筋はすっかり忘れていました。 先日はじめて小川未明童話集で読んでみて、はーこういう話だったんだーと感心しました。
さすが、長く広く読まれているだけあります。こわい印象はかわらないけど、いやもっとこわくなりましたが、これが真実なのです。さめざめとしました。 それでほかの童話もじゅんに読んでいるのですが(まだ途中です)、そうそうおもしろいのには出くわしません。いまのところ「飴チョコの天使」というのがお気に入りになっていますが、(子ども向けに見本的に丁寧にしているような)ことばづかいが気になって、どうも入り込めないのが多いのです。
まだ慣れていないのでしょうか。一冊読んで時間がたったら、また変わるかもしれません。
さて、「雪くる前の高原の話」には、若いすぎ、がでてきます。はち(蜂)とつた(蔦)と石炭とレール、なども出てきます。このすぎはいじわるというか、軽率というか、そんなキャラクターで、さいごにはひどい目にあって終わります。
童話の中の一節を写します。若いすぎがつたとはちの話をきいて冷笑していったことばに対しての描写。 「赤くなったつたは、勇敢な若いすぎの木のいっていることを聞いて、なんとなく年とってしまった、自分の身の上を恥ずかしく感じたのであります。なにもこれに対して、いうことができなかったのでした。そしてすぎの木のいうように、今夜にも、すさまじい嵐が吹きはしないかと身震いしながら、空を仰いでいました。」
2回ほど、若いすぎはいじわるな、でももっともなことをいいます。でもいかんせん若すぎたのです。あぶないあぶない、明日は我が身です。(もう若すぎる年でもありませんが)
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