特集 秋田 窓山WS&デザイン会議報告
 

秋田窓山WS&デザイン会議レポート

文/写真 菅原温子
 
 

怒濤の3日間が、連日の「雨」予報も吹き飛ばし、秋晴れの秋田県能代市窓山で行われた。
「窓山再生WS&デザイン会議」その一瞬一瞬を参加者一人一人が忘れることは無いだろう。
もちろん私自身も…
総勢62名の参加者は、2008年10月11日〜13日の期間に、秋田に集結した。秋田に来たことが無い人もいただろう。今回デザイン会議が行われた窓山は、県北の地域で行われた。冒頭でも記述したが、連日の天気予報は「雨」気温も、開催の前の週からぐっと冷え込んだ。あの時を思い返してみる。

  ◆集結
北のスギダラ秋田市チームは、空港に篠原先生、武田先生、小野寺さんを迎えに行き、一路能代市へ。高速を降り、現地スギダラ会員の加藤さんと合流、能代・喜久水酒造が酒蔵庫として利用している登録有形文化財、鶴形トンネルを視察。 入り口には大きな車掌車が有った。お酒の匂いというか、米麹の匂いのするその場所は、季節とも時間とも切り離されじっといい味になるのを待つ日本酒達が眠る場所だった。
加藤さんから「もう皆さん稲刈りもして、おこぜ組んだり、 (トイレ計画の) 穴掘ってるよ。」
それは!早く行かなきゃ!!一行はそのまま旧二ツ井市窓山へ。
会場に着くとそこには、見たことの無い人数が窓山にいた。普段、窓山という場所は、人間の音を飲み込んでしまっているんじゃないかというくらい静まり返り、風が通り抜ける音が一番偉いかの様に聞こえる。そんな場所に、みんなの笑い声や、火をおこす煙が立ちのぼっていた。
いつもなら私ですら「秋田弁もしゃべれない(秋田)市内からの余所者」なのに、おかしなことにその場にいた全員が、窓山の住民になっていた。その日は、おこぜ祭りの準備をしたり、窓山散策をしたり、それぞれが窓山を満喫した。
 

◆『窓山再生WS&デザイン会議』当日
ここに来るまで、様々な思いがあった。
2008年春、窓山WSの話をする為に東京へ。初めて先生達にお会いし、「ここが大事!」ということで大失敗。自分の不甲斐なさ、欠点、弱さに、その場から逃げ出したくなった。開催間近になり、日程の調節が難しく、わざわざ加藤さんと菅原先生に私の職場に寄ってもらい、1時間限定のミーティングをしてもらったこともあった。
学生時代、短大という2年の集大成、卒業制作のテーマを決める時、デザインなんてまだまだかじってすらいない20歳の小娘が、「私の卒制のテーマは、『形ではなく記憶に残るデザイン』です」と言い放った。その時、異様に食い付いてきた人がいた。その人こそ北のスギダラのボスこと菅原香織だった。後に一緒にお仕事をさせてもらえるとは夢にも思わなかった。「形ではなく記憶に残るデザイン」それは、これまでも私の中の大きなテーマだった。それが、あの日の窓山で行われたのだ。
過去に月刊杉にも書かせていただいた記事を読み返す。自分はどんな気持ちでここに向かってきたのか。窓山デザインコンペ、あの時の私は、こう締めている
「私の「ビビり杉」は、どこかに置いてきてしまったらしい。
誰か、どこかで見つけたら秋田まで届けに来て下さい。その時はぜひ窓山にいらして下さい。
「百聞は一見にしかず」
きっとわかっていただけるはずです。」
そして今回、窓山再生WS&デザイン会議の参加に際してのコメントではこうだ。
「何故、この地でデザイン会議なのか。
その理由は言わずともわかるだろう。「行けば分かる」としか表現しようがない。〜(省略)〜そう、限界集落と呼ばれるこの場所は、無限の可能性を秘めた場所、それが「窓山」だ。」
芸が無い。でも、その時の私には、そんなことしか言えなかった。
しかし、蒔きストーブの煙が立ちのぼる中、青空の下で講演いただいている篠原先生の姿、そして言葉1つ1つは、私たちの心に、そして止まっていた窓山の空気にとけ込んだ歴史に、穏やかに、そしてじんわりと響いていたように思う。

 
   
 

◆キーワードは「情感の共有」
それは、以前東京で聞いた講演のときも、先生がおっしゃられていた言葉だ。窓山でそのお話を聞いた時、確信したこと「地方」「秋田」「窓山」など場所というのは条件でしかない。この会議を行う前に何度も問われてきた問い「なぜ窓山なの?」その答えが分かった気がした。
「美しい景観が見たい。」その気持ちが一緒なら、自分が居る分野が何であろうと、関わる手段はいくらでもある。そこに集まる仲間。そして向かおうとする方向や思い。それが、物事が出来上がっていく上で大事なのではないかと思う。
現状の景観を共有し、感情を共有し、そして最後に窓山で共に踏み出した仲間達と、そして、このスギダラに関わる仲間達と。一緒に感動と共有したい。
『その為に自分が出来ること…』
篠原先生の講演は、きっとあの場にいた全ての人に「あなたなら何ができますか?」そう問いただしたように思う。

 
   
  ◆パネルディスカッション
パネラーの皆さんから、具体的な「窓山の可能性」、この会議の行われたことから産まれる「何か」、そして先生達のフィルターを通して見た「窓山再生WS&デザイン会議」の持つ意義、課題、未来展開について、討論が繰り広げられた。
ふとパネラー席を見渡すと、じんわりと涙が出そうになる。一字一句聞き逃さないように、気持ちを集中すればする程、泣けてくる。逃げ出さなくて良かった。この会議の成功。そしてこれからやらなければいけないこと。何かが変わり始める瞬間。全てに感動していた。

 
 

 

  ◆おこぜ祭り
前日から組んでいたおこぜも見事に完成し、祭り自体、これまでも行われてきたかのように、厳かに行われた。燃え上がるおこぜに全員の気持ちが1つになる。あの窓山デザインコンペ作品がまずは1つ完成した証しだった。
こうやって1つ1つ確実に新しい風を吹き込めば良い。おこぜの燃え上がる炎は、窓山に受け入れられたように感じる。
デザイン会議は、宿舎に戻り、夜が更けても、窓山を離れても続いた。
先生達も、地元の皆さんも、県外から足を運んでくださった皆さんも、学生さんも、あの日の興奮は、あの日のおこぜ祭りで燃え上がった炎のように、参加者の心の中で色鮮やかに燃えている。
 
   
 

◆この「窓山WS&デザイン会議」での成果
形に見える何かが出来たわけではない。しかし、確実に「環境ヤクザ」ならぬ、「里山再生応援団」=「同窓(山)会」が発足された。
窓山という地で、あの景色を残すため、そして未来につなげる為の、なにかが始まる一歩を踏み出した。それこそ大きな成果ではないだろうか。篠原先生を始め、お話をしてくれた先生達や、日本全国スギダラケ倶楽部をきっかけに集まった仲間達が、何か面白いことを始めようとしている。
一年後、また窓山で「同窓(山)会」の「同窓会」が行われる。
次もあの仲間達にまた会える。そしてどんな新しい仲間達に出会うことができるのか。今から楽しみでならない。

 

◆ 最後に
あの怒濤の3日間を終え、秋田は秋も深まり、今はもう、いつ空から雪が降ってもおかしくない程、寒さが増してきた。街の人々は、マフラーに顔を埋めて足早に歩いている。もうすぐ冬が来る。あの窓山も雪に閉ざされる季節がやってくる。雪が、螺旋を描いてしんしんと積もるのだろう。でも、来年はきっと、何かが違う。何かが動き出す。その可能性にドキドキする。今回も同じ言葉で締めよう。

限界集落と呼ばれる窓山は、今動き出した。
窓山WS&デザイン会議のHPに、次々更新される参加者のコメントに添えられた写真は、決して特別に演出をしたものではない。窓山の本来の姿だ。
美しい窓山は無限の力を私たちに与えてくれる。あなたも来れば分かるだろう。

 
   
 

 

  ●<すがわら あつこ> 温だら/スギダラ秋田支部 事務局長
FMOCA フォーエバー現代美術館 http://www.fmoca.com/ 勤務
 
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