連載
  信州野沢温泉村へ行く
文/写真 ・ 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 
年明け早々、1月15〜16と信州野沢温泉へ行ってきた。同行者は西都木青会杉コレ担当皆川さんである。なぜ西都の皆川さんか? 杉コレファンならお解りだろう。今年の杉コレは西都が担当で仮タイトルは「西都でEXSCITE」。細かい内容はまた別の機会に紹介するとして、きっかけは内藤審査委員長の「だったら、野沢の火祭りに行くべきだ!」の一言であった。
野沢温泉村を訪れるのは久しぶりだ。昔、時々スキーに行っていた頃で、下手をすると30年ぶりということになってしまう。最後の記憶からどう変化しているか? そんな事も含め、ちょっと楽しみであった。
関東は晴天、長野新幹線から見える浅間山はいつ見ても美しい。富士山の美しさとはまた違い、優しく女性的な魅力がある。見とれているうちに軽井沢を過ぎ、雪がちらほら降り始めて間もなく長野駅に到着する。なぜか長野駅は乗り換えばかりでゆっくりしたことがない。今回も駅周辺をぶらぶらしただけである。積雪は20センチ程度。 気温は下がり、手が悴んでくる。これからの事を考え、売店で手袋を買う。
そしてJR飯山線に乗り換える。飯山線は長野駅と新潟県の川口駅を結ぶローカル線で、戸隠や信濃平、野沢温泉といった長野県側のスキー場エリアを通り、新潟県に入ると越後妻有トリエンナーレで知られる中里、十日町へと通じる。雪のなかを走る単線は風情があるとも言えるが、なんともいえない寂しさもまた感じる。

      
新幹線から見る浅間山。   飯山線。静かな静かな風景。
 
車内は以外と込んでいる。座る席もないので一番先頭付近に立っていると、ニコニコしながら皆川さんがやって来た。開口一番「いや〜体感温度は意外と高いですね〜」などと言っている。南国宮崎からやって来てもっと極寒の地を想像していたのだろう。しかし、ここは電車の中、それも結構暖房が効いている。これからの事も含め、あまり先入観を持たせてもつまらないので、「そうですね〜」とだけ答えておいた。
 

徐々に積雪も増え、そのため、15分遅れで野沢温泉駅に到着。急いでバスに飛び乗る。外国人観光客の多いのにはびっくりした。三分の一くらいはいるだろうか。あとで聞いた話だが、大半がオーストラリア人だという。バスの運転手のおじさんも二カ国語で案内する。凄い。 30分ほどで中心部に到着。時間は四時頃であった。硫黄の匂いと、少し歩くとあちこちから温泉の湯気が上がっている。まず村の風景がほとんど変わっていない事にホッとする。
雪はどんどん酷くなった。 旅館で一休みし、火がつく前に現場の櫓を見学に行こうと出かけると、皆川さんが長靴を買うと言い出した。そりゃそうだ、普通の靴でこの豪雪地は無理だ。
一緒に店を探すが不思議と靴屋が無い。村中歩き回ってやっと一軒、金物屋で売っていた。
結局小一時間歩き、すっかり体の冷えた二人は再び旅館で一旦小休止。(笑)でもお陰で村をひとまわりでき、地理的感覚も大体つかめた。お堂(共同浴場)もいい。大湯は立て替えられていたが昔とまったく一緒だ。辺りが暗くなり始めたころ、今度こそ!と再出発した。

      
後で祭り会場に移動する初灯籠の下部。   雪の捨て場がなくトラックで雪を運んでいた。
 
そもそも野沢の火祭りとは何か?
正確には野沢温泉道祖神祭りといい、日本三大火祭りに数えられ、国の重要無形文化財にもなっている。よくいう「どんど焼き」の大型版であるが、前年に誕生した子供の健康祈願、そして良縁祈願、男の厄年お祓いが中心だ。ただ、実は忙しさもあって、無謀にもほとんど予備知識無しで行ったのであった。だから、村の外れの会場に向かう道を歩きながら、そこにどんな光景が洗われるか、興味深々であった。

そこにあったものは、想像以上に美しい社殿であった。屋根の上には天まで届きそうに木が突き抜けている。 真っ白な背景に静かに、力強く、そして神秘的なでかつ原始的ともいえる空気を発している。 夕暮れの中に、スポットライトに浮かび上がった社幻想的だ。
すげ〜、 しばらく見とれてしまう。

      
  半割にした丸太を交互に重ねていく。樹種はブナ。
 
この社殿を初めに見たときの気持ちは忘れられない。   お飾りやひとつひとつの技が素晴らしい。
 

構造的には四本のご神木(通し柱)を組み、それに屋根にあたる部分は丸太を交互に七段に積み上げてあり、その上に雑木が積み上げられている。結して簡易なものではなく、ご神木に巻いてある縄の巻き方を見ても、かなりの熟練した技術と時間がかかっている事が想像出来る。
見とれてぐるぐると社のまわりを何周もした。ひとつ一つが丁寧だ。作業をしている村人に話も聞いたりしていたが、この祭りのために一年がかりであること、代々続けるために参加する前年の準備から手伝い、技術だけではなく、祭りの仕組みや決まり事を含め、見習い的に参加していく事を聞いた。 そうだよな〜、そうじゃじゃなかったらこんな事出来る訳がない。

そうこうしているうちに徐々に寒さも増し、皆川さんに「火祭りまで一旦旅館に帰りましょう。」と伝え、帰りだした時だった。大きな声が聞こえ初め、振り返ると何処からともなく若者が20人ほど集まり大声で掛け声をあげ、円陣を組んだり繰り返している。防寒着も着けず、凄いエネルギッシュだ。「やっぱりもう少し見ていきましょう。」祭りの男集に比べ、あまりにも弱々しい自分が情けなくもなった。 気が付かない間に屋根の上にも男達が登っている。聞けば地上が25才の厄年、上が42の厄年だ。何か儀式的なことを大声で、ややけんか腰に叫び合っている。檄を飛ばし合っているのだろう。その後、 歌を歌い出す。

命あるなら来年も〜♪・・・さてば友達ゃいいもんだ〜♪ ・・・(略)

観客はまだ殆ど来ていない。地域の結束と繁栄を願った歌のようだが、歌詞ははっきりと解らない。でも涙がでそうになるほど、心に響いてくる。結局は愛の歌だと思う。 吹雪のなか、歌は何遍も続いていたが、いよいよ耐えられなく再び宿に帰る。(弱っちょろい!)

 
      
  上の先輩に叫ぶ!
 
上が42の厄年男。下が25の厄年男。渇を入れ合う。   先輩はがんばれよ!と返す。(多分)
 

暖を取るために野沢菜と熱燗を飲みながら食事をした。ここの野沢菜はやっぱり美味しい。
その二つを 何度もお変わりをしているうちに暖まってきた。聞けば泊まっている旅館のお子さんも今年お祓いをしたそうだ。祭りの時間は旅館をやっていてもみんなで見に行くと言っていた。そして内容もいろいろと教えてくれた。他の客もこの祭りを見るためだけにちょくちょくやって来たと言っていた。それだけ、この地で道祖神祭りは大切なものになっている。
最後の フィナーレを見るために宿を出たのは8時ころであったろうか。

会場に戻ると一面人で埋まっていた。加えて村に飾ってあった、きらびやかな初灯籠も会場に移動し、華やかな雰囲気を醸し出していた。
しばらくして、村のほうから火元が到着。火祭りが始まる。観客が多すぎて近づけなかったが、全体のストーリーとしては、村人が社に火をつけようと松明をもって攻め入る。それを厄年の男達が守るというものだ。その攻防は徐々に激しさを増して行く。守り切った男達が厄を払ったところで終了、いよいよ社に火が付けられる。

   
火祭りのスタート。初灯籠が彩りを添える。   火の攻防。結構激しい。
 
そうとう雪が降っているが、観客はじっとしている。   上の男集松明の材料、オンガラを下に投げ落とす。
 
上の男集は屋根を降りる。   最後に社殿に火が放たれる。
 
屋根が落ちる。しかしご神木は立ったままだ。   最後を見届けず、帰りの途につく。
 

完全に焼け落ちるまで2時間近く掛かったろうか。今年は雪で木が湿っていたために燃えが悪く時間が掛かったらしい。その間、観客はほとんど動かない。頭に雪が積もりっぱなしだ。もうだめだ。寒さが限界に達し、足が凍り付きそうで、宿に帰った。大湯の近くの居酒屋で皆川さんと再び野沢菜と熱燗で暖をとる。

翌朝、雪はやんでない、大湯で朝風呂に入りに行った。戸を明けるといきなり脱衣所、洋服を脱ぐと寒くてしょうがない。早く湯船に入ろうとするがとても熱くて入れない。寒いのに入れない。元湯は100度近いらしい。申し訳ないけど、水で少し薄めながら、あ〜〜〜いい湯だ。
皆川さんも今日帰って市と杉コレの打合せがあるというので、 早々に帰ることにした。野沢温泉行きのチケットを買いに行くと、「今日は大雪で飯山線止まってますよ。」と声を掛けられた。「はぁ〜〜〜!」一瞬耳を疑った。もっと早く誰か教えてくれよ〜。である。しょうがないので近くのバスターミナルへ場所を移しいつ来るかわからない長野行きのバスを待つ。皆川さんはやけに落ち着いた表情だ。バスに揺られ1時頃ようやく長野に到着する。
新幹線に乗り、やっとホッとした。前日4時頃現地入りし、朝までの短い時間がなんだかとても長く、異空間に行っていたような錯覚に陥った。

あのパワーはなんなのか? 江戸時代から続く歴史の持つ重みなのか? 戦後は戦争のため、若者が減り祭りも存続の危機にも陥ったらしい。その時地域を守るために生きるか死ぬかの賭をし、火祭りを地域の核にする選択をし、元の祭りに復活させたという。若者にとってはこの社殿を完成するまで見習いから始まり、三年ほど掛かるという。祭りは一瞬だが打合せや準備を含めるとこの火祭りこそが地域の絆であり、それを見る人は感動するのだろう。そういう意味では火祭りの中で、四十二と二十五の男達のやりとりが一番印象的だった。
いずれにしろその感覚と光景はとても言葉や写真では伝えられない。興味を持った方はぜひ現地で見ることをお奨めする。毎年、曜日にかかわらず、1月15日である。

さて、杉コレはどうするか・・・野沢は野沢、西都は西都である。 皆川さんは野沢温泉で買った長靴を大事そうに宮崎まで持って帰った。中には色々な思いが詰まっていたと思う。

皆川さん、本当お疲れさまでした。取りあえず、古墳で興奮楽しみましょう!

   
  熱いけど、抜群に気持ちいい温泉。大湯   まだ長靴を買う前の皆川さん。寒かったね〜。
   
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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