特集 月刊『杉』WEB版 5周年記念
  吉野にて

文/ 羽藤英二

 
 南雲さんから例によって明るい駄洒落で原稿の依頼を受けたとき、果たしてこの人との付き合いはいつからだろうと思い、記憶を手繰った。確か四国・松山市のロープウエイ通りの街路計画で一緒に仕事をしていたはずだが確かな記憶がない。私は設計協議会の会長だったが、なぜかそのときはお会いしていない。しかしそのとき南雲さんがデザインした正岡子規の書の入ったゲートウエイの柱はたいへん気に入っている。残念ながら杉は使われていないが、鋳物の渋いデザインの柱は実に堂々としており、坂の上の雲の城下町・松山のここが始まりだと知らせる味わいがある。ああいうものをデザインする人が南雲さんという人なのだと あらためて思った。
   
   その南雲さんと昨年の冬に一緒に吉野を旅した。スギダラ関西支部の石橋輝一さん等が吉野杉のツアーを企画されたのだ。石橋さんは吉野で製材業を営む若旦那で、熱心に吉野を案内していただいた。
   
   吉野は古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった歴史のあるすばらしい街である。吉野の霊場は世界遺産にも指定されており、和歌山県の高野山と熊野三山、及びこれら霊場同士を結ぶ巡礼路がある。私たちは杉ダラ関西のメンバーと共に巡礼とは無関係に二日酔いのまま、吉野を歩いた。
 
  吉野の山々と金峯山寺
   宿から坂道を歩き、息も絶え絶えにようやく金峯山寺に辿り着いた。伽藍の内部に入ると、原木の曲がりを残した自然木が柱として使われていることに気づき、ここではっきり酔いが覚めた。南雲さんはここぞとばかりに、「ハトちゃん、ハトちゃん、見てよこの木。わかる?」と得意げに話しかけてきた(笑)。躑躅(つつじ)、香椿(チャンチン)、梨などの凄まじいまでの巨木が圧倒的な存在で伽藍を支えていたのだ。
   
   私の父方の曾爺様は宮大工ということもあって、幼い頃から寺社仏閣によく連れて行かれた。その際、大きな伽藍を造るにはまず山から買う。山は土であり、木々の根が山の東西南北どの斜面に根ざしたものであるかを基準として、用いる柱の位置を決めるという話を聞かされた。まだ幼かった頃に繰り返し聞かされたその話を思い出した。果たして白鳳時代に建てられた大きな伽藍の多くに、この地・吉野の山の杉をはじめとする巨木が用いられたことは間違いないのだと実感した。
   
   かつてより、地形的に日本の母胎ともいえるこの紀伊半島を人々は祈りをこめて歩いた。現代社会において都市の論理で世界経済は動いているし、多くの人がその経済的発展をひとつの根拠としている。その文脈の中で私自身も生きていることは否定しようがない。しかし、同時に今も杉の木立の中を足を引き摺りながら、どうにもならないことに願をかけるように巡礼する人は後を絶たない。なぜか。
   
   今からちょうど10年前、私はアメリカの東海岸で働いていた。季節は卒業シーズン、博士号を修得できない学生が何人も頭を撃ち抜いて自殺していた。自らを厳しく律し、努力を続け、しかし出せない結果に、様々な国々から集った若者が命を絶っていく。そういう現実があった。そしてセプテンバー・イレブンは起きた。CNNでは「Kamikaze」と何度もニュースアンカーが叫び、繰り返し日本の特攻の映像が流されていた。
   
   今東京で暮らしている。何が正しくて何が間違っているか。私たちは普段の生活の中で、経済的原理に重きを置き、様々な技術やサービスに一喜一憂する。ある種、場当たり的な解を求めているといってもいい。しかしそこからは、何か大切なものが抜け落ちる。そうして抜け落ちた大切なものが堆く積まれている。そんな気がしてならない。少しだけずれたシステムが、見えない大きな力でいろんなものを拘束し、そのせいでみんなの調子が少しずつ狂っていく。二日酔いの頭でそのあたりまで考えたところで、吉野の金峯山寺傍の庵についた。吉野の山が一望にできた。眺めがすばらしく息をのんだ。
   
  小林秀雄がかつて「美しい花はある、しかし花の美しさなどというものはない」と言った。吉野の桜はなるほど見事で衆目を集める。しかしそれだけではない吉野の美しさを容易に言葉に表すことはできない。吉野の草木には「無名の質」がある。生命や精神の根源的な規範といってもいい。先に述べたようにたとえ経済や利潤が大切だとしても、人はお金でできているわけではない。そしてだからこそ、決して言葉に顕せない何かを求めて人は山を歩く。
   
   いくつかの山の仕事と関わるようになり,関わり方は様々だが、共通しているのは、そこで暮らす人々の意識の長さ、横たわっている山との関係性の深さと強さである。 1000年のときを超えて存在してきたこの国の山と人の関係性は、この国を支える「素形」といってもいい。そしてその長い時間を越えて育まれてきたしなやかな「素形」の物語をあらためて見つめなおすことこそが、行き詰まりを迎えつつある私たちをめぐる世界にとって、真に大きな意味を持ちえるという気がしてならない。   吉野スギ視察。中央が羽藤氏
 
   吉野から東京に戻って南雲さんと飲みに行った。「ハトちゃん、今やってるような難しい研究はもういいんじゃない?」といわれて苦笑いした。山から何ができるかを考えること、そしてそれを行動に移すことは決して簡単ではない。そしてそういうことを分かった上で仲間たちと明るく挑戦している南雲さんが目の前にいた。また山に行きたくなった(笑)。  
   
   
   
   
  ●<はとう・えいじ> 東京大学工学部都市工学科 准教授
東京大学大学院光学系研究科 都市生活学・ネットワーク行動学研究室 http://bin.t.u-tokyo.ac.jp/
   
 
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