短期連載
  住宅のアプローチ・構えの風景との関わり 第2回
文/写真 大坪和朗
  千葉県中山間農家のアプローチ『じょうぼ』の分析と考察
 
 
  1-0 はじめに
   
  風景と家との理想的(?)な関係
   
   私が当時の限られた経験の中で知っていた農家の構えというものは、道路に直接接し、背の高い屋敷林で囲まれ、田畑の中に点在している。アプローチは屋敷林の一角に開いた隙間から、母屋の入口が少し見えている。というものだった。(下図1.)
   それに対して、私がここで見た家々は、母屋を背の高い屋敷林で隠すのではなく、アプローチのための空間というものが用意されているように思えたのである。
   各家は山を背にして山裾に位置するのだが、母屋は道路から距離を取り、斜面には季節季節の花や作物、植木が植えてある。そして、その緩い斜面の中を、小道がS字を描いて走っている。どの家も、それぞれ工夫して、自らの家のアプローチを美しく見せようとしている。
   家の正面の斜面に植えられた木々は軒下をいくらか隠す程度の高さで、農家の母屋のどっしりとして大きな屋根が、隠れること無く姿を現している。(下図2.)
   斜面を上がる前庭のアプローチ空間と、深く大きな母屋の屋根と、後ろに控える山が一続きになって「家のある風景」と言えるようなものをつくり出している。ここでは、建築は異物とはなっていない、かといって、隠れているわけでもない。人間の住みかを表すどっしりとした母屋の屋根や長屋門が、その存在を示しつつも、風景の中にひと続きになっている。ここに、人間の営みの拠点である建築と自然の理想的な関係を見たような気がしたのである。
   
 
   
 
  事例1.遠景
 
  事例1.近景
 
  事例2.遠景
 
  事例2.近景
   
  この「家のある風景」・「アプローチのための空間」を目にした理由は何であったのだろうか。 そのきっかけからまず考えてみることにする。
   
  ● 1. 屋敷林が低く抑えられている
  屋敷林が低くて済むのは、山間では周囲の山自体が、ある程度防風の役目を果たすからである。しかし、たとえ山間でも、谷津の幅が広く、向かい側の山が離れているところでは、風の影響を受けやすくなるためか若干屋敷林が高くなり、建築が自然の中に隠れてしまう。したがって、後に述べるが、「アプローチ空間と、深く大きな母屋の屋根と、後ろに控える山が一続きになっている風景」は、風の影響が少ない、山と山の間が比較的狭い場所でよく見られる(下写真)。
   
 
  比較的狭い幅100m以下の谷の風景
   
  ●2. 道路と母屋との間に距離が取られている
  母屋から距離を置くことによって、「山裾にどっしりと建つ家」として、一度離れて家を眺める機会が与えられる。そして、上で述べたように家は完全に隠されることなく姿を見せているから、この山間では「家のある風景」を見ることができるのである。
   
  ● 3. 家が山の斜面のいくらか高いところに建っている
  斜面の高い位置にあれば、より遠くからでも見える。家の前に多少木を構えても、高低差があるために家を隠してしまうことはないから、演出されたアプローチ空間と家と後方の山を同時に見ることができる。
   
 

以上3つの要因が重なったことが、この風景を景観的なものにしている要因であると考えられる。では、

   
  疑問(1) なぜ山裾のいくらか高い位置に家を構えるのだろうか
疑問(2) なぜ母屋と道路の間に距離を取るのだろうか
疑問(3) なぜみなS字を描いているのだろうか
   
  この3つの疑問を解くことと、そのアプローチ空間の演出方法について分析、または考察を行っていく。
   
 
   
  斜面を利用したアプローチ空間の成因分析
   
  日本の文化は、迂回したその道筋を進む過程に意味を見いだそうとする傾向があり、聖なるものは隠され無数の回り道をしなければそこに到達できないと言う特徴があると言われている。
  はたして、そういった文化が、千葉の山間の一般的農村の各農家で意識的に行われているのだろうか。私は、そういったアプローチ空間の成因に、次の三つのような答えを期待して調査を始めた。
   
  1.アプローチ路を長く取り、家を道路より高くすること自体に美学があった
2.そういった空間を持つことが一つのステータスにつながっていた
3.お寺や神社の参道をまね、家というものに精神的なものを求めていた
   
  しかし、調査を進めて行く内に、その成因は、第一に地形的な対応によっていることが分かったのである。後にそれらの空間が豊かさを表すようになったとしても、はじめから豊かさを目的として生まれたと言うよりは、地形との対応から生まれたものに、美しさを見いだし、美しく見えるよう工夫してきたということのようだ。
   
  確かに、その裏には上(かみ)一下(しも)、奥一手前というような感覚が無かったとは言いきれないが、それは後からついてきたことのように思う。山がなければ上も下もないし。谷がなければ手前も奥もない訳で。自然との対応の中で、水利・日射・防御などを総合的に判断して立地した家屋を、それぞれが見栄えよく工夫し、その風景が視覚的にも豊かさつながってきた、と考えられるのである。
   
  この章では、斜面を利用したアプローチ空間の成因として、1.歴史的背景、2.地理的背景、3.社会的背景、4.家相的背景、5.心理的背景の五つの背景について述べていく。
   
   
   
  1-1 歴史的背景
   
  古代では人々は台地の上に生活し、稲作を営むようになってから低地の近くに住居を構えるようになった。治水していない平地では、大雨が降れば水浸しになり、嵐が来れば暴風と洪水の危険性があった。昔は、そういう意味で山間の谷津(やつ)のほうが気候が安定しているため、また、粘土質の谷津田の米の方が、砂質の平地で採れる米よりもおいしかったということもあって、人々は、まず山間の谷津に水田を求め、山裾の斜面に家を建てたという。
   
   
   
  1-2 地理的背景
   
  1.水はけ、地盤を考慮
  水はけを良くするために1.5mほど敷地を高くする。また、盛り土ではなく、山を削った上に載せると地盤が強いため山裾へ建てる。しかし、それだけでは斜面の高い位置に家を建てる必要性を十分説明できない。
   
  2.農地を、より条件の良いところへ
  農村では、農作物が最も大切なものであるから、それを使先させ、家などは多少日当たりが悪いところでも良いということである。
  谷津といわれる土地(「5.分布」を参照)は、平地のようにいくらでも田畑を広げられるというわけにはいかず谷の底辺に最大限に水田を取った。さらに、畑での自給自足用の農作物が水はけの良い、水田より少し高い位置に必要になる。そして、母屋より日当たりが良い家の前の斜面に来ることになり、家屋はその後ろの高い位置に来る。したがって道路と母屋の間に距離が生じ畑を迂回して山裾に沿って歩く道が曲線を描く「じょうぼ」になる。
   
 
   
  3.山裾の水を求めて
  豊富で安定した山の水を求めて山裾へ家が建つ。
  谷津の一番奥には必ず貯水池があり、そこから各農家の水田に、上から順々に水を引いていたが、それは限られた水にすぎず、谷全体に行き渡らせることなどできなかった、そこで潅漑用水として各家が山の斜面の横井戸から水を確保することが重要であったからである。「上総堀り」という技術が普及してからは、深い縦井戸も掘ることができたが、それ以前には、山間では山の斜面ということを利用して横井戸(下写真)を掘って水を得ていた。下に掘り抜かなくても、横に掘り進めば山の上方から浸透した水がそこに溜まる。その横井戸をいくらか高い位置に取れば、高低差を利用して自然に水が吹き出させることもできる。手動ポンプを用いて縦井戸の地下水を上の横穴に引き上げて、給水棟として使うこともできた(写真3)。また、腰の高さに横井戸を掘れば、しやがみ込まなくても水を使うことができた(写真2)。横穴を30間も掘って、潅漑用水にしている家もある。
  また、家の横に小さな池(写真1)を持つ家が多いのだが、それらは、横井戸から常に水が供給されている。中には池の下を横に掘り込み、実際に地表から見える池の倍の体積の水をためている弛もある。これらは、防火用水や、観賞用の池として使われている。
  このように山の斜面に建てる原因として、水はかなりの比重を占めていたと考えられる。
  また、このあたりでは、横穴を掘って養蚕時の桑の葉の保存倉庫として、堆肥を発酵させる場所として、天然の冷蔵庫として、防空壕として、また古墳として使っていた(写真5)。山はなんと利用価値が高く、尊いものだっただろう。
   
 
  横井戸、横穴の有効利用
   
  4.日差しを考慮
  稲作農家では収穫後の米(もみ)を庭に干す必妻があった、しかし山間では、日が遅く上り早く沈み、さらに狭い谷の地形では前方の山が日射を遮るため、冬などに日照時間を長くするために、家は斜面の高い位置に設置される。
  また、朝日が早く昇ること自体、有り難いことであった。
  しかし、すべての農家が日当たりを最優先しているわけでもない。作物の日当たりを最優先したり、風との対応や、景観的な見栄えを最優先して山の北側の裾に家を構える農家もある。家屋の屋根が茅葺きだった頃は、人々は嵐の時に屋根を持って行かれるのを防ぐために、防風を優先して山の北斜面の裾に家を構えていたが、農地解放や兼業化によって経済的に余裕が出てくるにしたがって、反対側の甫斜面に移ってきたのだという。北斜面にあった家では干し場を母屋から離れた日当たりの良い所(多くは、谷を横切るあぜ道状のじょうぼ)に設けていた。
   
  5. 分布
   
  谷津(やつ)とは
  ここで、谷津(やつ)という地形を説明しておく。なぜかというと、調査を進めていくうちに、山間の農家でも、本論文で取り上げようとしているアプローチの形式、つまり、斜面の多少高い位置に家を構えるものは、この地形に多く見ることができることが分かったからである。
   
 
   
  千葉南東部には一宮川が流れており、その流域には木のような形を描いて、多くの細かい谷がひだのように無数に広がっている。大枝には川と開けた水田、小枝には谷、小枝につく葉のように民家が分布している。小枝のように連なる谷の奥には必ず貯水池があり、そこから水を引いて稲作業を営んでいる。
  ひだのように連なる谷のある地形はこの地域特有のものであるが、このようなアプローチの形式がここだけだとは言えない。低い山を背にした住居形式は千葉県全体に見られることのようであるし、同じような地形をもつ地域なら全国に存在すると考えられる。
  では、その地形の特徴とはどのようなものだろうか、前にも述べたように、狭い谷でなければ、斜面の中腹の高い位置に住居を構える必要性は必ずしも無く、田よりいくらか高いにすぎない。標高が高い急な山であれば、山の斜面方向にアプローチを展開するのは困難だろう。
  必要条件は、山はそれほど険しくなく、谷地形に、田畑と人の往来のある平地が設けられるだけの広さがある場所と考えられる。山と平地が混じり合うところ、山間でもあまり海抜の高くないところでこのような地形ができると考えられる。このあたりも水田のある平場は海抜20〜35m程度で山の高さは海抜50〜70m、わりと高い平場35〜50mの所で山の高さは海抜70〜110mである。平場から見える山の相対的な高さはそれぞれ30〜35m、35〜60mくらいのものである。これは山脈の最も高い位置との差であるから、平均はこれよりも低いわけである。このぐらいの海抜であれば、谷はそれほど深くなく平場ができやすいと考えられる。これ以上高いところでは谷が深くなり平地をとることが難しくなる。
  また、山が高く斜面が急になると、斜面が崩れる危険性が出てくる。
  したがって、本論文で調査を行った地域は、山の斜面を利用したアプローチの生まれやすい地形と言えるだろう。
   
 
   
  ・南向き、南東向きの脊に多く分布
  どの谷にも等しく分布するわけではなく、南向き・南東向きの斜面を持つ谷に多く分布し、谷が連続する地域に集中している。この同じような南東向きの谷が連続したことにより、同じような構えを持った農家を出現させる要因となり、それによって地形との対応の知恵を高めることに役立ったのではないだろうか。いいものを見たら、自分の土地でも試してみることができるのだから。
   
  ・広い谷より狭い谷に多く分布
  水田があって、両端に山の斜面があれば必ず斜面方向に展開したじょうぼができるとは限らず、広い谷に、疎に点在している場所よりも、幅100m以下の谷に斜面方向にじょうぼを展開した民家が集まる。
  第一の要因として、広い谷では農地が充分にとれ、日射を遮る山もないわけだから、民家を斜面にわざわざ上げなくても少しだけ上がっていればそれで用が足りたが、狭い谷では農地は平地に最大限に取られ、家は斜面の上に上がる。
  第二の要因として、土地が充分にあれば、畑を母屋の横、つまり斜面の同じレベルに水平方向に畑を設けることもできるが、家屋が集まれば、斜面方向に家を展開することになるからである。
   
  また、幅の狭い谷ほど手入れが行き届いた美しい物が見られる。これは、自分の住む谷、自分の家の目の前の田畑、その風景全体が自分のものだと感じられる広さだからではないかと筆者は考えている。また、人が多く集まることで、自分の家を飾る意識が高まるからではないかと考えられる。
   
 
  幅100m程度の谷の風景
   
  6. 地形との対応
  前ページの図のように、谷の側面には、少し高くなった窪みが連続し、そこに畑や民家が主に立地する。防風や日射をどのように地形と対応させるかによっていくつかのタイプがあり、1章の冒頭にあげたタイプのじょうぼは、そのうちのケース1(下図)であることが分かった。
   
 
   
 
●ケース1. 窪地に畑や田圃を取りその後ろに家を構える。家までの山据を歩く道がじょうぼとなる。田畑を迂回せずに、直線的に窪地の中央をじょうぼが通る場合もある。
   
●ケース2. 窪地ではなく、山ひだの膨らんだ部分を、冬季に風が来る方向(北西〜北東)を防風用に残して削り取り、削られた東の崖の下がじょうぼとなる。この場合、畑は隣の窪地に設けられている。
   
 
   
 
●ケース3. 北側の山裾の敷地では、谷を横切って、向かい側の窪地にある家まで伸びるあぜ道がじょうぼとなる。山の北裾の窪地に建つ家は、日当たりが悪くならないように山から距離を置くため、家は斜面上には建たない。その代わりに別の「景観構造」が当てはめられる。それは、土地を「袋」にし、山に囲まれること。遠景としての山。長いアプローチ路である。その両脇に花や背の低い木が植えられる。
   
●ケース4. 母屋は辰己を向くため、裏をかくし、母屋の正面まで回り込むじょうぼである。タイプ2と同様に山ひだを防風に利用しつつ、窪地の入り口付近に建てることで、午後の日射は確保している。
   
●ケース5. 谷がほぼ南北方向に走り、その東の裾あるいは西の裾に建つ場合、納屋と母屋の間を二つに分けるようにアプローチする。突き当たった場所にアイストップとしてこんもりと木々が植えられる。
   
   
   
  1-3 社会的背景
   
  地域のなかで影響力のある者が、より高いところに家を構える傾向があることは言えるようである。この地域でも、谷に一番先に家を建てたものや、醤油や酒をつくっている農家が谷の一番奥の、あるいは窪みの奥の、したがって高いところに家を構えるという傾向が見られる。しかし、敷地の高さが直接ステータスにつながるとは言えない。
  山間で一等地に当たる場所は、谷の一番奥や、山にUの字に囲まれた窪地とのことである。それらは、水が豊富に得られる場所で、しかも山ひだの窪地に袋状にはまりこんで、景観として山と一体になり、見栄えがよいからだと考えられる。1-2の3「山裾の水を求めて」でも述べたように、力を持ったものが水を管理することができた。したがって、山間でのステータスは、直接敷地が高いことではなく、水の多く得られる土地で、山を後ろに控え、U字に囲まれて、山と一体となることであると考えられる。この形式を人々は「袋:ふくろ」と呼んでいる。防御にも有利と考えられる。
   
 
  山の窪地にUの字にはまりこみ、山と一体となった風景。
水も得易く防風にも良い。
   
   
   
  1-4 家相的背景
   
  ・すべてにおいて辰巳が優先される
  辰巳(たつみ)=巽=南東=お天道棟の上る方向である。西とは斜陽を意味し、西に玄関があると将来うまく行かないと考えられ、通用口は東寄りに取られる。
  また、北東(表鬼門)から南西(裏鬼門)への対角線は神様の通り道であるから、そこにはじょうぼ口を設けず、辰己の方向から入るものがより良いとされる。南西にじょうぼが抜けていたら、表鬼門からやってきた神様が素通りしていってしまうからだろう。そこで、どちら側に道路があっても、客間や、なかの間などを隠して、辰巳の方向まで回り込む必要が生じ、結果的にアプローチは長くなり、そこに木々が植えられ、みばえ良く「見せつつ隠す」空間となったと考えられる。しかし、これはあまり厳密でなく、どのような地形を選んだかによっては、道路が西にあれば、平面プランを東西方向に反転し、便利なように土間を西に置き、式台玄関を「奥」に取り、じょうぼが西から入るものもある。ある地形の中では、それが正しい(自然)ということもある。
   
  例えばじょうぼの形には下の写真の様にという形が見られる。一見奥行きを深く取り隠しつつ演出しているように見えるのだが、それを目的としてつくられたわけでもなく、かといって防御のためというわけでもないようだ。農村では、すべてが朝日の昇る方向:辰己を重視するのである。このタイプは西に道路があり南東に入口をとれない家で、じょうぼを長くとり、改めて南東からは入り直すのである。あるいは、玄関が巽方向を重視しているため、客間や、なかの間などを隠して入るという言い方もできる。
  なぜそう言えるかというと、外房の九十九里海岸の南端に近い平地で採集したものであるが、道の向かい側つまり、道路のある方向が東から南東方向の場合には、じょうぼを鍵状に取る家はなく、すべて道からすんなりと短く入っているからである。(
   
   
  南東まで回り込むアプローチ
   
  ・曲がったじょうぽが良いとされる
  直線的に玄関まで到達するじょうぼより、曲がったもののほうが良いと言われている。じょうほが直線の場合でも必ず玄関から少しずらした所に到達するようにしてある。これは、不幸が入りにくいように、幸福が出ていかないようにとの願いからである。
  また、曲がったものを良しとする感覚がやはりあるようだ。植木は、まっすぐよりも曲がっていたほうが好まれるそうである。
   
  ・登りじょうぽが良いとされる
  将来登り調子にうまく行くという願いからだ。
  また、地形的にも水はけを考えると、母屋は高い位置にあった方がよく、したがって登りじょうぼが良いことになる。
   
   
   
  1-5 心理的背景
   
  これまでは、地形や水や風との対応という実用的な側面から、家が山の斜面に建てられる原因を述べてきたわけであるが、もっと単純に、基本的な心理的要因として、「高いところは気持ち良い」という感覚が働いていることは間違いのないことではないだろうか。それはなぜかというと、
   
  1.視界を遮るものが少なくなり、より遠くまで見える。
2.家の前にある自分の田圃や畑に豊かに実る稲穂や穀物を見渡すことができる。
3.朝日が早く昇り、夕日がいつまでも照らしてくれる。
   
  以上三つは、非常に主観的だが、疑問の余地はないように思う。なぜなら、陽光に輝く黄緑色の一面に広がる稲穂と、背後に控える山の深緑が同時に見える風景はまぶしいばかりに美しいし、秋の澄んだ空気の中、朝や夕に輝く太陽とその逆光に透かされた稲穂は、生きる力を与えられるほどに美しい。人は誰しも見晴らしの良いところに住みたいことは、確かなことだと言えるのではないだろうか。
   
 
   
 
   
  以上のように、冒頭に上げたアプローチは、地形との対応などから生まれる、様々なアプローチの中の一つであることが分かった。では、それ以外にどのようなアプローチ空間があるのだろうか。次回は、それらについて分類し類型化を行います。
   
   
   
   
 

●<おおつぼ・かずろう> 建築家
風景を思うことがライフワークであり仕事でもある。
建築「絶景」事務所とでも言ってみると楽しい。
大坪和朗建築設計事務所HP:http://www.otsubo-archi.com/
Blog:http://otsubo-archi.cocolog-nifty.com/

   
 
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