特集 油津 [前編] 夢見橋ができるまで

 
設計から職人も参加した伝統工法による木橋
文・写真/ 熊田原 正一
 
 
 

9月12日のことである……。
今日も気が付いたら橋に来ている。暑いから外には出ず車中から橋を眺め見る。
4〜5人の男の人が橋の中央部で上を見ながらなにやら話をしている様子である。
2、3分がすぎても上を向いたままである。
車を降り近づいてみると年の頃60歳代男性達の会話がかすかに聞こえてくる。
「こんな厚い木がよう曲がるもんじゃ」           
「飫肥杉やろか〜」
「集成材じゃねと〜(集成材じゃないの?)」
「みんな同じように曲がっているから集成材だよ」
と、かっぷくのよい人が知っているかのような口調で自信ありげに答えると、
また一人「こら集成材じゃないと〜」と。

   
  「夢見橋」の屋根
  飫肥杉をつかった「夢見橋」の屋根。きれいに曲がっている。
   
 

そこで、私の出番である。
「こんにちは! どこから見えたのですか?」と訪ねると 日向から来ましたとの事。
「杉の橋が出来てると聞いたもんで見に来ました。りっぱな橋が出来てますね〜。ところでお聞きしたいのですが、天井板は集成材ですか?」
「いや違いますよ。この橋の材料は、100%飫肥杉を使って作っているんですよ」
「天井板の曲がりはどうやって曲げたんですか?」
「飫肥杉はこんなにきれいに曲がるんですか?」
「そうですよ! 昔、油津港は日本一マグロの漁獲高でした。今でこそプラスチック船ですが、そのころのマグロ船は飫肥杉で建造した木造船だったそうです。船の先端はゆるやかな曲がりが取ってありますよね、その曲がりを作る伝統的な技術を取り入れております。その技術というのは、曲げる杉板の上に沸騰した湯を板に掛け少しずつ曲げていくやり方です。今回の天井板曲げ木の製作に当たっては、鉄板で釜を作り長さ3.5メートル、深さ60センチ、幅60センチの大きさで、循環式ガスを3台取付(いわいる杉板のお風呂って感じですね)。湯を沸かし沸騰させ、そのなかに板をいれ木を煮て、型にはめて曲げていきます。(詳しいことは、[油津木橋記その2]を見て下さい)」
そう説明すると、
「へぇ〜こんな厚みのある板がこんなにきれいに曲がるとは思いませんでした。飫肥杉は曲げに強いんですね〜」
と、感心されてました。

   
 

質問は続き……。
「この橋には屋根がありますが、普通、橋には屋根はありませんが……」
「そうです! 設計当初は屋根はありませんでした。申し遅れましたが、堀川改修工事に当たっては、当初から東京大学の先生(篠原修名誉教授)、東京の設計事務所(小野寺康都市設計事務所)、宮崎県油津港湾事務所、日南市、設計事務所、住宅センター、地元の関係団体、製材組合、建築設計事務所市民として町づくり景観委員会、そして油津地区民が一緒に設計図を広げ『木材ワーキング』と称し検討していきました。行政と東京の設計士さんが市民の意見を聞き入れ、設計図の見直しをして頂いたりと、我々市民としては画期的なことだなと感じました。聞く所によると全国でもまれなことだと。前置きが長くなりましたが、屋根が付いたのは、日南は日差しが強いので橋に影があったらいいナーということと、飫肥杉が腐れやすいということからです。飫肥杉は腐りやすいといっても、20〜30年生の若木は特に腐れやすいのですが、60〜100年生いわゆる年輪の細かい、密度の詰まった堅い杉は腐らないんですよ〜」
「そんなもんですかね〜。床下に大きな材料が使ってありますが、その木の年輪はどのくらいですか?」
「はい。120〜130年生です」
「そんな木が日南にあるんですか?」
「数は少ないですが、探せばありますよ」

   
  床下に使った杉
  夢見橋の床下に使った杉は120〜130歳!
   
 

「へぇ〜。それでは、雨で腐ることはないですね!」
「はい。実は床下の大きな材料は、この橋の命です。絶対腐ったらいけませんので、床板を見て下さい、床板と床板の間の隙にキラキラと光るものが見えるでしょう。これは、床板に落ちた雨水が床板の隙間から落ちても良いように、床板の中心に溝を作り、そこにステンレスの薄板をくの字に曲げ、雨水が両端部に落ちて橋桁が雨水に濡れないように工夫がしてあるんです」

  くの字型ステン板
    ステンレスの薄板のくの字型雨どい。
   
  「なるほど よく考えてありますね! それから、現代の建築にはボルト、板金物を使用していますが、聞く所によるとこの橋にはボルト、金物は一本も使用していないと……」
 

「はい。柱と柱の取り合いを見て下さい 3センチ角の色の違った木が見えると思いますが、あれがコミセンです。柱の穴と桁の穴を少し寸法を違えて切り込むことにより、互いに引っ張り合うようになるので、1回入れたら2度と抜くことは難しくなりますよ。タルキと軒桁の取り合いは雇いホゾといって、平らな板を中心から90%にねじったようなものです。」

  「こんなものどうやって作るのですか?」
「はい。これは昔から使われている伝統工法なんです」
   
  コミセン
  コミセン。3センチ角の色の違った木。
   
  雇いホゾ
  雇いホゾ
   
 

「この材料はなんですか?」
「ミズメサクラと言って樹齢100年以上のサクラの木ですが、花はあんまり咲かず、高山にしか育ちません。堅い上に曲断力もあって木の中では一番強いと言われています。後日談ですが、このミズメサクラをたくさん使用したので、探すのに大変苦労しました。コミセンと雇いホゾを2400本使って木と木をつないでいます。そのコミセンと雇いホゾには、日南市内小中学生、宮崎の青島、サンメッセ、日南飫肥城に来られた県外者、日南市、南那珂地区民の方々4,000人の将来の夢と希望が書いてあります。まぁ 木橋のタイムカプセルですね。将来、この橋が解体された時、びっくりでしょうね。これいいよね〜。これ作って次世代に残そうよね。そう思って何千年もこのままの橋が残ってくれるといいですね! まさしく夢見橋です。

   
  ミズメサクラ   コミセンと雇いホゾ
  ミズメサクラ   4,000人の将来の夢と希望が書かれたコミセンと雇いホゾ
   
 

橋の名称については、日南市油津の堀川運河に架かる飫肥杉木橋のイベント実行委員会が、結成されました。その名も「堀川に屋根付き橋をかくっかい実行委員会」です!(『かくっかい』とは日南弁で、『架けようゼ!』みたいなかんじです) 実行委員会を通じて幅広く応募し、各方面から1200通りの名が出てきました。夢○○○と夢が入った名称は数多くありました。最終的には油津地区の小中学生に選んでもらったのですが、それがこの夢見橋でした。良い名前が付いたと思います」
「何か私達も残したいですね。方法を考えてみて下さい」

  「そうですね〜、誰が見ても一筆残せるような若いカップルが来たとして、たとえば『一生一緒に暮らしたい』とか残せたらいいですね。そのカップルが将来訪れた時、孫を連れてきてくれるかもしれないとか思うと、想像しただけでも夢が広がり楽しくなりますね。何かみんなで考えてみます。
  橋の横のほうに来てみませんか。飫肥石が重りになって この材(桁A)がハネだしになっています。あちらの方もですが、この飫肥石は、片側の重量が16トンあります」
   
    大きなコミセン
飫肥石
  片側の重量が16トン!   大きなコミセンを差し込んで継ぐ
       
 

「こんな大きな石が地元でとれるのですか?」
「はい。ここから車で30分くらい西の方に行った所に、原石がとれる石山があるのですが、そこからとった飫肥石です。2万5千年前に姶良火山の大噴火による大火砕流が南九州一帯に起こり堆積したんです。火砕流堆積物は、自重と高熱により溶けて下部ほど圧縮され、やがて徐々に冷えて固まり岩となり、このように出来た溶結凝灰岩を総称して飫肥石と呼んでいます。この重石も、柱を支えている石も飫肥石です」
「へぇ〜、これが飫肥石ですか」
「継ぎ手もこのような大きなコミセンを差し込んで継いでいます」
「あんなもんで大丈夫ですか?」
「はい。乾燥すると木材がやせるのですが、やせると木と木の間に隙間が出来て摩擦力が無くなるので、乾燥状態を見てコミセンをたたいて締めることにより、力の持続性が保てます」
「そうですか、一箇所、一箇所の構造が良く考えられていますね。いろいろ説明して頂きありがとうございました。説明を受けないと橋の良さが半減する所でした。堀川も、この夢見橋を拠点として観光の発信地になると良いですね」
「はい。それには地元住民が熱意を持ってかわいがっていくことからだと思います」

   
  「最後にお聞きしますが、この橋を作るのに一番苦労されたことはどんなことですか?」
  「そうですね〜。まずは、東京大学の先生や東京の設計士さんとの打ち合わせに入れてもらえるか? 田舎の職人の言うことを聞いてもらえるか、ってことが不安でした……。打ち合わせを重ねていくうちに、「それでいいんじゃない〜」「それで行きましょう」といった一言がとても嬉しかったです。従来、私達の仕事は、設計図があって設計図通り作り上げれば良いわけですが、この夢見橋については、設計の段階から共に考え、共に作り上げたと思っています。そういう意味においては、愛着があります。私どもの意見を聞き入れてもらい、それからは、毎日、毎日、橋のことが頭から離れない日々でした。考えるまでに時間がかかりますが、考えがまとまると試作を作り、また、それについての協議……。1箇所の納まりについて4〜5回試作を繰り返した箇所もあります。これで行こうと決まった時には、何回も試作を作った苦労も忘れ、また次の試作です。ここに、こうして地場産の飫肥杉で作ったこんな大きな構造物が、金物1本使用せずに出来たことに、喜びよりも不思議だな〜と自分自身思っています。
  また、屋根の銅板葺きは現代の名工小城さんに、木工事については私の右腕になってくれた大野大工を初めとする腕の良い職人達の匠の技だと思っています。現代に置いては、職人達のこうした技術を後世に残していくことが大切だと思っています。在来工法の木造の住宅でもプレカット切り込みが通常ですが、我が社においては、プレカットでは加工出来ない、昔から伝わる丈夫な仕口継ぎ手等、手作業できざみ(加工)、台風や地震にもびくともしない建物をつくり、一人でも多くの職人を育て、信頼を受ける仕事をし続けていきたいと思っています」
「それじゃー頑張って下さい。ありがとうございました」
気を付けて、と見送りをした……。
   
   
  職人たちの技術なくしては夢見橋は完成しなかった   夢見橋を訪れたご婦人
   
 

10月9日 曇り
今日も会合のついでに夢見橋に寄ってみる。
私が車から降りると同時に、タクシーに乗ってやってきたのは80歳ぐらいのご婦人である。
宮崎市内から北郷温泉に、13日迄泊まりだと聞く。
その前に夢見橋が見たかったので来たとのことである。
橋のたもとに来、橋を見上げ「いいね〜、いいね〜、素敵ね〜」の連続である。
私も、嬉しくなり「私どもがこの橋を作ったんですよ〜。橋の案内をします」
「材料は、飫肥杉ですってね! すばらしいわ」
時間が無く30分くらいの案内で終わって、残念である。

   
  次回号では『夢見橋』施工について振り返る。
   
   
   
 
 
  ●〈くまたばら・しょういち〉 大工
1942年生まれ。宮崎県日南市在住。
宮崎県立日南職業訓練校建築科卒業後、3年間地元の棟梁の下で家業の農業を手伝いながら大工道に入る。
19歳から神奈川県川崎市の工務店で修業。
23歳には修業の成果として、積み立てたお金を資金に化粧材(秋田杉)を購入し、木造住宅(115平米)を1人で仕上げ、完成後また川崎に戻り修業。
26歳で日南に帰郷し、建設業を営む。飫肥杉を利用した、従来工法、プレカットでは出来ない巧みな技術で木造建築物を手掛ける。
39歳で株式会社熊田原工務店設立、現在に至る。飫肥杉の顔に惚れている日南人です。
   
   
   
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