杉のある風景ー越後杉vol3「佐渡-相川周辺」

文/写真  南雲勝志

「朽ちる美」

 
 
 
 

相川京町。坂の多いまちだ。向こうに日本海が見える。

  


34号宿根木に続き、佐渡の風景をもう一つ。相川あたりの風景をお送りする。

「朽ちる美」

そういうと大袈裟かも知れない。元々特に立派な建物であったわけでもなく、農村や漁村に良くある普通の民家、庶民の家だからだ。地方の山村では時々見られる風景であるが、佐渡は特に多いような気がする。島であること、幕府直轄の時期もあり、独自の文化を今も持っていること、それを無意識のうちに誇りに思っていることなどにより、経済主義の潮流にも巻き込まれなかったのかも知れない。
もちろん北前船や金山で大いに潤っていた人々もいたし、立派な建物も商家もあった。たとえば廻船問屋や江戸から昭和まで続いた相川の金銀山の遺構はその象徴であり、過去の栄華があっただけに、むしろ”ものの哀れ”を感じる。
それに対し、これらの民家は哀れは感じない。強く美しいのだ。それはシェルターとしての最小限の機能、気候や風土に根ざした必然的な形と、素の素材、それも地に存在した素材の織りなす魅力である。冬の強風から守るため、壁が土壁と杉板張りの組合せであり、ほとんどの建物は低く抑えられている。
しかし、容赦なく吹き付ける日本海の風雪は半端ではない。それに踏ん張り、耐え続け、傷み、朽ちていくその姿が凛々しくもあり、美しさを感じさせている。
要するに無理をしない、その地に淡々と生き続ける人々が滲み出す自然な風景だ。

今であれば耐久性を増すために塗装もあれば、防腐処理もある。さらに不燃処理だってあるし、やろうと思えば圧縮して材の強度を高める方法だってある。しかし、そういう素材は朽ちるときになかなか美しく朽ちてくれない。
快適さが求められ、手をかけず、耐久性のあるものが求めらるようになり、なかなか朽ちる素材は使えなくなってきた。
実際に自分が仕事をしていてもその問題は必ずついてくる。
それを知っているから余計に気になるし、ある意味あこがれる。
素材の力をより長持ちさせるために、大事に使う。要するに手間をかける。
素の力、住む人と家々が織りなす、それ以上でも以下でもない自然な成り立ちと朽ち方。
基本が大事。人間も同じなんだろうな。

今は手間の代わりにお金をかけて耐久性を延ばす。それで経済も活性化する。
しかし経済も怪しくなってきた。
果たしてそれにどれほどの価値があるだろう。

木も鉄も石も土も同じように持っていたそんな力を「朽ちる美」などと堂々と言えなくなってきたところが悲しい。そこから逃れたいと思うわけではないが、そういう存在をしていた時代を羨ましくも、懐かしくも思う。
弱気な気持ちとはちょっと違う迷いのようなもの「本当に必要な事」は何だろう・・・
こんな風景の中を歩いているといつも思う感情だ。
塗装も防腐処理もしない、木材やメッキもさび止めもしない鉄を使ったデザインが出来るだろうか。
そんな社会が来るだろうか。

      
 
   
 
   
 
   
   
   
   
  ●<なぐも・かつし>デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 


 
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