特集 秋田「杉恋」プロジェクト  
  杉が繋げる秋田と九州
文/ 津高 守
   
 
 
   「秋田駅周辺街づくりのメンバーの前で日向市駅や海幸山幸について話をしていただけませんか。」というオファーを菅原香織さんから頂いたのは、昨年の杉コレの時であった。「行きます、じぇったいにいきま〜す。出張で行きます。ギャラはいりません、会社のPRさせて貰いますから。」と、いつもの軽さで安請け合いをしてしまった。12月に入る頃には1月18日に開催される秋田駅周辺まちづくり研修会で講演を行うことが決まった。「お〜い、誰か一緒に秋田に行こうぜ!秋田美人に会えるぞ。何っ?その週は会計検査で身動きとれない?そうか、じゃあ峯課長は無理ね。福田、秋田へ行こう。大分の件ならヒロポン・・・じゃないヒガポンがいる。ほかの件名は白川代理に任せろ、荒川もいるだろ。よしっ、行くよな?資料作りは任せた。ついでに菅原さんや秋田県の泉山さんとの調整もしてくれ。せっかく秋田に行くなら東北新幹線も乗ろうぜ。俺まだ新青森駅見てないし・・・。ていうか、8年前に開業した盛岡・八戸間も乗ってない。そうだ、仙台まで飛行機で往復して秋田新幹線で秋田に入り、帰りは青森経由で新幹線に乗り仙台まで戻ろう。これで、きりたんぽに加えて牛たんやいちご煮も喰える。」こんな調子で出張の手筈も整った。というか、18日半日の講演のために3泊4日の出張を作ってしまった。
   
   正月明けから東北地方は大雪に見舞われていたようだが、出張の週は雪が止んで天気が落ち着いていた。というわけで、我々の乗った特急こまちは定刻に秋田駅に到着。
   改札を出たところで菅原さんの出迎えを受け、研修会の会場を見る。ホテルメトロポリタン秋田の3階の会場は、北のスギダラのメンバーである菅原温子さんが挙式をあげたところらしい。「部長、今までで一番立派な会場ですね。」福田がニヤニヤしながら私に声をかける。「確か参加者も今まで部長が講演をした中では最高の80人くらいですよね。」と更にプレッシャーをかけてくる。「参加希望者が増えてたぶん100人くらいは来るんじゃないかしら。」菅原さんが畳掛ける。「え〜っ?そんなに聞きに来るの?こんな会場いっぱいに人がいたら固まるよな・・・。」などと考えたが後の祭り。今更逃げることもできない。取り敢えずホテルにチェックインしたのち夕食を兼ねて翌日の講演の打合せに行くことにした。
   その際に菅原さんから講演では日向市駅や海幸山幸の話をとくに詳しくしてほしいと依頼された。もちろんこの二つは説明用パワーポイントの相応のページを占めてはいたが、それ以上に詳しくとのことだった。私としても好都合である。もとより人前で話をするのは得意ではないが、メインの題材が日向市駅や海幸山幸。本物の杉モノである。「こんなモノが九州、しかも宮崎にあるということが分かってもらえるだけで十分だ。合わせて日向市や宮崎県の熱心さを話せば、自治体関係者にも刺激になるかもしれない。」そう思いつつ杯を進めて秋田出張初日の夜は更けて行くはずだった。
   「講演の様子はUstreamで中継されます。井上さんや辻さんも楽しみだっておっしゃっていましたよ。」菅原さんからまたまたプレッシャーが・・・。「もうここまで来たら仕方ない。もともと宮崎県の悪口を話に来たわけじゃないからな。でも、カメラの向こうに見知らぬ聴衆がいるのはきついなあ・・・。」結局、プレッシャーをごまかしがてら2合5酌も日本酒を飲んでしまった。
   
   講演の詳細はここでは割愛する。いつもどおり九州新幹線の紹介とそれに接続する観光特急の話に加え、我々が取組んできたプロジェクトの話をした。前日の話もあり日向市駅と海幸山幸は、パワーポイントを一通り流したあと再度詳しく話をし、特に日向市駅については、「JRが作った駅というより、宮崎県や日向市、それに篠原先生や内藤さんたち数多くの人たちの熱心な思いが結実したもの」だということを強調した。
   今回、冒頭で弊社のCMのビデオをご覧いただいた。これは弊社が九州新幹線全通時に作成したものの大震災で放映を中断したもので、電車に向かって沿線の人たちが手を振っている姿が被災地を励ます思いと重なって口コミで話題となったものである。あとで尋ねたところ、講演を聞きに来ていただいた方々の半分近くがこのCMを以前に見たことがあるとのことだった。流石は「おかえりこまち115プロジェクト」で盛り上がった秋田だ。九州から1000km離れても結構知っていてくださったんだとうれしくなった。因みに、このプロジェクトの仕掛け人である泉谷さんも研修会に参加されていた。
   研修会では私の講演のあと菅原さんのコーディネートによる意見交換会があり、私の話に対しても質問や意見をいただいた。研修会の後にはNHKや新聞社からも取材を受け、NHKでは夕方のニュースに今回の研修会の開催が紹介された。(「久々のテレビ出演だけど相変わらず間抜け面だよな。今回は軽薄な声が流されなくてよかった。」というのが率直な感想です)
   その後、泉山さんに秋田国際教養大学に連れて行っていただき図書館をはじめとした秋田杉の建築物を見せていただいた。この大学の授業はすべて英語で行われているそうで、図書館の蔵書もほとんどが英語だった。昼夜を問わず勉強する学生のため、図書館は24時間開館しているそうで、これだけの秋田杉に囲まれて勉強していたら、私もこんなヤクザなサラリーマンにはなっていなかっただろうと思った。
   夕方は、菅原さんと泉山さん、そしてスギダラ会員でもある加藤さんと私たちの5人で一杯飲みに行った。途中からは熊本出身で林野庁から秋田県に出向されている猪島技監も合流され、九州の取り組みに対して質問とともに賛辞も多々いただいた。さらに、本年5月に開催される杉恋プロジェクトを皆で成功に導こうと誓いを立て、この日も3合近くの日本酒をガソリンのように補給して秋田でのミッションは終了した。
   
   さて、私を秋田に導いたもの、それは紛れも無くスギダラの繋がりである。そして、私にとってのスギダラの原点は日向市駅と海幸山幸運行の際に手掛けた日南線各駅のリニューアルプロジェクトである。日向市駅は地元の皆さんの自慢の駅舎となっている。私は常々、部下や同僚たちに問掛けている。「もし、宮崎県や日向市からJRの好きにしていいから地元の自慢になるような駅を作ってくれと言われていたら、今の日向市駅を超える駅舎を作れたと思うか?」と。答えはもちろんノーである。日向市駅は先述したとおりたくさんの人達の思いが一つに結実してできた駅舎である。JR一社が力んで作ったところで地元の誇りにはなりえない。だからこそ、次の地元の誇りを作るべく我々も努力を重ね、文字通りの地域密着を実践していかなければならない。
   日南のプロジェクトでは弊社の荒川君が南雲親分や日南市のメンバーの助けを受け、駅舎のリニューアルに取り組んだ。時を同じくして開催された「日南飫肥杉大作戦」のイベントで初めてお目にかかり、杉玉づくりの師匠として教えを受けたのが菅原さんである。杉玉づくりはその後も宮崎の年中行事として、日南市の皆さんにも協力をいただいて継続し、その取組みは地元紙にも紹介されている。今回、その菅原さんからの依頼で秋田に行ったことにも何らかの縁を感じている。まさに、杉が秋田と九州を繋げてくれたと思っている。
   
   秋田では、25年度のJRグループによるデスティネーションキャンペーン、26年度の国民文化祭の開催等に向け、秋田駅を中心として魅力アップに取り組もうとしている。そのような中、5月には杉を使ってのコンテストや篠原先生の講演を行う「杉恋プロジェクト」が菅原さんの熱意により実現の運びとなっている。合わせて、スギダラ全国大会も開催とのことである。
   今回、稚拙な講演ではあったが、我々も杉を使って新たな展開をしていきたいと思いそして行動していることは秋田の人々にも伝わったことと思っている。秋田においても新たな取組みが進んでいくことと思う。日本の南北で遠く離れてはいても、杉が繋げてくれたこの縁を大切に秋田を応援をしていきたい。
   
   
   
   
  ●<つたか・まもる> 九州旅客鉄道株式会社 鉄道事業本部 施設部長
   
 
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